英語脳の作り方

「日本語を介在させずに英語だけで英語を捉える」という「英語脳」はどのように作ることができるのでしょうか。
このノートでは「英語脳の作り方」を皆さんとシェアしたいと思います。

同じものに対して2つ以上の表現を知っていると起きる現象

「英語脳の作り方」をシェアする前振りとして「同じものに対して2つ以上の表現を知っていると起きる現象」についてお話します。
以下にちょっとしたストーリーを書くので、「同じものに対して2つ以上の表現を知っていると起きる現象」について考えてみて下さい。

土田けんや君は「ツッチーなの?」それとも「けんやなの?」

あなたには、長年の付き合いがある「土田けんや君」という友達がいます。そして、出会ってから今日までずーっと、あなたは「土田けんや君」のことを「ツッチー」というあだ名で呼んでいます。

そして、ある日あなたは、「土田けんや君」のことを「けんや」と普段から呼んでいるA君と初めて遊ぶことになりました。
一緒に遊んでいる時にA君が次の様に言います。
「この間【けんや】が英語のテストで偏差値70とったんだよ。マジですごくね?」

この時にあなたは何を思うでしょうか?
おそらく、あなたは次の様に思うはずです。
けんやって誰だ?、、、あー、ツッチーのことか。」

そしてこれが「同じものに対して2つ以上の表現を知っていると起きる現象」になります。

「土田けんや君」という1人の人物に対して「ツッチー」という表現と「けんや」という2つの表現がある時に、「親しみのない表現で表された場合、親しみのある表現に変換して捉える」ということします。

英語よりも日本語の方が圧倒的に親しみがある

先ほどのストーリーでは、
「土田けんや君」という1人の人物に対して「ツッチー」という表現と「けんや」という2つの表現がある時に、「親しみのない表現で表された場合、親しみのある表現に変換して捉える」ということでした。

そして全く同じ現象が「英語」と「日本語」という言語間でも起きる、ということになります。
「ほぼ全く同じ物事」に対して「日本語での表現」と「英語での表現」という2つの表現がある時に、「親しみのない英語で表された場合、親しみのある日本語に変換して捉える」ということをします。
これが「英語を話すときに日本語が介在してしまう理由」になります。

「土田けんや君」を「ツッチー」という表現を介在させずに「けんや」という表現だけで理解する方法

先ほどのストーリーでのA君のセリフ。
「この間【けんや】が英語のテストで偏差値70とったんだよ。マジですごくね?」
このセリフを聞いた時に、
けんやって誰だ?、、、あー、ツッチーのことか」とならない為にはどうすればいいのでしょうか?
「へー、けんやスゲーな」という様に「ツッチー」という表現を介在させずに「けんや」という表現だけで理解するにはどうすればいいのでしょうか?

やり方自体は簡単で、これからは土田けんや君のことを「ツッチーではなくけんやと呼ぶ」ようにして、「ツッチーという表現」よりも「けんやという表現」の方が親しみのある表現にしてしまえばいいのです。

けんやという表現の方が親しみのある表現である場合、
A君の「この間【けんや】が英語のテストで偏差値70とったんだよ。マジですごくね?」というセリフを聞いた時に、「へー、けんやスゲーな」と「ツッチー」という表現を介在させずに理解することは一ミリも難しくありません。

「ほぼ全く同じ物事」に対して「日本語での表現」を介在させずに「英語での表現」だけで理解する方法

先ほども書いた通りですが、
「ほぼ全く同じ物事」に対して「日本語での表現」と「英語での表現」という2つの表現がある時に、「親しみのない英語で表された場合、親しみのある日本語に変換して捉える」ということになります。
そしてこれが「英語を話すときに日本語が介在してしまう理由」でした。

では、「日本語での表現」を介在させずに「英語での表現」だけで理解するにはどうすればいいのでしょうか。

やり方自体は簡単で、これからは「ある物事」について「日本語ではなく英語で表現する」ようにして、「日本語での表現」よりも「英語での表現」の方が親しみのある表現にしてしまえばいいのです。

英語での表現の方が親しみのある表現である場合、
日本語を介在させずに英語だけで英語を理解することは1ミリも難しくありません。

実践するのは極めて困難

「ある物事」について「日本語ではなく英語で表現する」ようにして、「日本語での表現」よりも「英語での表現」の方が親しみのある表現にしてしまえば、「一切日本語を介在させずに英語だけで英語を捉えることが可能」になります。

ただ、しかしながらこれを実践するとなると極めて困難と言わなければなりません。
生まれてから今日までずーと日本語で表現してきた物事に対して「英語での表現の方が親しみがある」という状況にするのはとても難しいです。日本語を使いながら日本に住んでいる限りでは不可能と言って言い過ぎではありません。
唯一可能性がある方法としては、「英語圏に移住して日本語を一切使わない生活を一定期間続ける」という方法になります。
※特定のフレーズに限定した部分的な英語脳であれば日本にいながらでも作れます。

日本語を介在させながら英語を話してもいいじゃないか。だって、言葉なんだもの。

日本語を使い日本に住んでいる限り「一切日本語を介在させずに英語だけで英語を捉える」ということは極めて困難です。
ただ、「一切日本語を介在させずに英語だけで英語を捉える」ということはそんなに必要なことなのでしょうか?

とても大切なことですが「英語は言葉」です。
「日本語を介在させていようが介在させていなかろうが、英語を使って相手とコミュニケーションがとれれば何も問題はない」というのが私の考えです。
英語を使ってコミュニケーションをある程度とれるようになった後に、英語脳獲得を目指してさらに頑張るのであればそれは素敵なことだと思います。※おそらく英語圏への一定期間の移住が必須になります。
でも、一番最初っから英語脳を目指す必要はありません。


日本語を介在させながら英語を話したっていいじゃないか。だって、言葉なんだもの」by Satoshi






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