痛みの物語を愛の物語に.「今までの生き様,佇まいが人を癒し強くする」

心に熱い情熱を秘める同志のみなさまへ♡

さと・カウンセラー見習いです。

「痛い過去の経験から得た宝物たち」シリーズ2作目。色々、綴りたい順番に自由に綴ります。

5歳の時の出来事です。
お友達だけどいじめっ子でもあったYちゃん。わたしの家は超厳格で、お小遣いとかそんなのは無いし、テレビはドラえもんだけ。駄菓子屋さんとかもいっちゃダメな感じで。清く正しく躾されるって感じかな。

Yちゃんはわたしのオモチャを持っていっちゃうコでした。縄跳びの縄でぐるぐるにわたしをくくってフェンスに引っ掛けて放置したりとか,,,わたしはYちゃんのいる保育園に転園してきたばかり。仲良くしてはくれるけど、Yちゃんのいうことは絶対服従、嫌と言えなかったのです。Yちゃんがお休みの時は、めっちゃめっちゃ嬉しくて。わたしが遊びたい大好きな子達と思う存分目一杯遊びました♡

このYちゃんが「100円持ってきて」ってわたしのお家の玄関にやってきて。わたし嫌だと言えずに、両親と祖母がいる居間の鍵の付いてない貯金箱からコッソリコッソリ盗みを働いたのです。

5歳の挙動不審な女の子の態度はすぐに父親の目に留まり。Yちゃんの目の前でわたしが顔面に張り手くらっちゃいました。右だったかどちらかの目の上に青アザ出来ちゃった。凄い怖くて泣いたけど言い訳出来なかった。母も祖母も父を止められず。

そんな状態で翌日保育園に。凄く嫌で恥ずかしかったけれど、転入する前の保育園でわたしの担任をしてくれていて、この保育園ではフリーの保育士さんだった古川先生が「どうしちゃったの?」って聞いてくれて。わたし黙ったまま何も言えなかったら、そっと黙って抱きしめてくれて頭撫でてくれたのです。泣き出しそうなのをグッと堪えて一瞬だけ先生に身を委ねました。そしてすぐにお友達と遊びに,,,

この時のこと、この温もり、わたしは一生忘れません。
ただただ、そっと抱きしめてもらえるだけで癒される。
言葉は要らないっていうこと。痛みも一瞬忘れられるっていうこと。

2018年の手術合併症を経て退院直後わたしは過去の痛み恨みつらみを両親に向かってメールで無我夢中でぶつけ続けました。痩せ細って思うように食べられない苦しみも、助けてほしいと言えなかった自分の苦しみも、何もかものありったけの思いを両親にメールでぶつけました。

その時に父親は長文で4通お返事を返してくれました。その一部です.

あなたの心の奥底からの魂の訴えを夜中に何度も何度も何度も読み返しています。
子どもの頃の未成熟なお父さんの暴力が、あなたの心の奥底に深い傷を負わせてきましたね。もがき苦しみなから必死で頑張ってきたあなたの叫びを本当にながい間心底受け止めて来なかった自分を本当に申し訳なく思います。大切な娘に虐待という負の遺産を負わせ続けてしまったことを心から申し訳なく思います。御免なさい。

お友達の前で殴った時も,内の娘は貴女のために大変な事をした。互いにもう二度としてはいけない…の思いで叩きました。当時のお父さんは心理研の学習会に熱心で、(盗みと夜尿は愛情をの請求証、最初の問題行動の対処の時は受容だけでなく叩いてでも教えなあかん… 等の思い込みが激しく、二人に分かるように説明すること無く、暴力を振るってしまいました。

子どもの心理を描画から読みとることに夢中で毎日が膝の上でお絵かきを刺せていたさとが叩いた直後の自画像のアザのできた方の目に病気、痛み、心痛を表す紫色を書いた時には内心しまった、えらい事をしたの気持ちで一杯になりました。本当にすまなかったと思います。」

継母のお婆ちゃんから薪で殴られる虐待を受けたお爺ちゃん、そのお爺ちゃんから受けた暴力で育ったお父さん。虐待と考えず厳しい躾と受け止めてきたお父さん。我が子に対する暴力も無意識のうちに虐待と捉えられずに来てしまいましたね。


この父親からのメールを読んで、わたしは何もかもを許せました。ずーっとあった喉の大きなつかえが一瞬でとれた。そんな感覚を鮮明に覚えています。そしてこうお返事を出しました。両親の愛を受け取り始めた大きな出来事です。

ありがとうございます。誰も悪くない。被害者であり加害者。もう、被害者加害者、支配や被支配の関係は要りません。対等な関係を、私は自分の感情や自分の考えを一番大切にして、これからを生きていきます。身体が戻るまで、どうかそっとしておいてください。

小学校に上がると父親の暴力はパタッと止まりました。怒鳴り声上げても両手の握りしめた拳は後ろにしたまま。絶対に手はあげませんでした。そんな父親にわたしは安堵を感じながら怒られていました。

痛みの物語を愛の物語でみるってこういうことだなって思います。

わたしはわたしのクライアントさんに対して、ただただそっと優しく心で抱きしめたい。そういう想いが湧き出るのもこういう背景からです。

色んな事情や背景があってそうせざるを得ないということ。そんな事情に思いを馳せること。決めつけはせずに、ただただ暖かく寄り添うこと。

お弟子同期から「その存在と色々を乗り越えてきた今までの生き様、佇まいが人を癒し強くする」ってコメントを貰えて、嬉しくて泣いちゃいました。その言葉を受け取ります。心からありがとう。

わたしはこの両親の元を選んで産まれてきた自分自身のことを誇りに思います。両親を心から愛しています。数々の痛みの経験は「負の遺産」ではなく、確実にわたしの「尊い宝物」です。そしてわたしは幸せになります。なっています!

心配してもしなくても大丈夫なようにしかならないから。大丈夫。心配はいらない。

いつもお読みいただきありがとうございます。
涙溢れ出てるさとでした。

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