断言はこわい

さとさきは今、株式会社2社と自分のアーティスト・タレント活動をお仕事にしている。社長としてのお仕事と里咲りさの両立は大変じゃないですか、と聞かれることが多いけど、両方好きな仕事だからどちらかだけをやるってことはさとさきの人生の選択にきっとなかったんだろうなって思う。

社長をやっていると、ビジネスや最新の技術にも感度高くいないといけないので、音楽や芸術のインプット以外に、最新のビジネス界隈(界隈ってざっくりしてますが)のトレンドも一応インプットしている。

さとさきは、お母さんいわく、「なんでそうなるの」が多い子供で、話を聞くとお母さんとしてはちょっとめんどくさかっただろうなと思う。本や自然が好きでぼんやりほへ〜ってしてるので、このままだとただのアホになっちゃうって心配したお父さんが、「りさは勉強しなさい」って、とりあえず大学入学までさせてくれた勉強を、嫌がらずに楽しくできたのは、「なんでそうなるの」が多い人間だったからだなと思う。

大人になってからも、違和感を無視して生きるのが苦手なのは変わらなくて、「今まではこれは普通に受け入れられてたけど、急に違和感あるな」ってことを、毎回毎回考え込んで、仕事の進捗が悪くなったりする。友達に相談すると、「考えすぎ」と一蹴されて気が楽になったりはするけど、一応自分なりに言語化しておくとスッキリするので秘密のノートに、心がごちゃごちゃした日は、どういうことだったのかを書くようにしてる。

最近、急に違和感を感じてもやもやしていたのは、文脈を省いたわかりやすい断言で、そういうものに触れるたびに、心がざわざわしてしまっていた。一度気になったらどんどん気になるもので、世の中は意外と「わかりやすい断言」で溢れていた。

そういう一種精神的な過敏状態になったさとさきが、本屋さんに行ったら、最新刊なんてわかりやすい断言のタイトルばかりが並んでいた。今までは受け手として、別にただ「キャッチーだな」と思っていたし、いろんな断言をインプットした上でどれを採用するかを自分で決めればいいから、そこまで気にならなかったけど、急に、自分が、発言したり書いたり指示を出したりする時へのこわさに変わってしまった。それと、インターネットをみていると、断言してくれる人を、100%そのまま受け取っている人が意外と多いんじゃないかとも感じた。

急にこの世に生まれて、「これはいいこと、悪いこと」を先に生まれた人間から教わってとりあえず生きてみたけど、そのルールだけじゃわからないことが出てきたときに、「断言してくれる」人や宗教は、便利なものだなと思う。これはなんなのか、どうすればいいかわからない不安な自分より、明らかに堂々としていて、数字を持っていて、断言してくれる気持ちよさは、さとさきも理解できるし、集団で社会生活を送る人間にプログラムされてて理解に苦しくないなと思う。

そういうのがあってもいいし、そういうのがないと成立しない社会であるというのはわかった上で、さとさきが感じたのは、誰もがネットにつないでYouTubeやSNSで、わかりやすい断言に触れた時に、前提知識や他の情報があれば取捨選択して断言を受け取れるけど、自分に前提知識や情報が乏しい場合にわかりやすい断言に触れた人が多数になった時、わけわかんないことになっていくんだろうなと思う。

サロンビジネスやビジネス界隈に嫌悪感を持つ人が多いのも、そういうところへの気持ち悪さなんだろうなと思う。検証するには体力がいるから、断言をそのまま受け取って思考停止して知った気になって優越感に浸っている状態の人を見て違和感を覚えるのだろうし、さらにそういう構造を理解した上で発信してる人への嫌悪感は当然だろうなと思う。(サロンというのは本来意見を出し合ったり新しいことを知って知的好奇心を満たす場であって、サロンの全部を否定してるんじゃなくて、断言を甘んじて受けるだけの場になっているという構造になってしまっているサロンビジネス場合の話)

そういう意味で、洗脳じゃなくて色々な知識をつけるという意味での教育はすごく大切だし、大人になっても勉強を続けていける環境がもっと整っていったらいいなって思う。それと、誰か一人の断言じゃなくて、権力をいくつかの機関に分散させて、いろんな人が意見を出し合って「そういう見方もあるのか」ってところで折衷案的にルールや法令を出していく今の日本の仕組みは、大雑把に、いい仕組みだなと思う。

独裁者が出た時の「キャッチーさ」は、不安な時やわからないことがある時、情報が少ない時に与えてくれる「わかりやすい断言」によるもので、プロパガンダもそういう気持ちよさでまかり通ってしまうんだろうなと思う。安易に断言してくれるお悩み相談や、たった一つのソースとしての本は、そういう人間の間違えやすさの表れの気がして、こわい。最近の話でいうと、新型コロナウイルスのことやワクチンのこと、ロシアとウクライナのこと、いろんなところで「わかりやすい断言」に触れて心がざわざわする。

いろんな感性の、いろんな人生のサンプルを持った人たちがいるから、やっぱり権力を集中させず、一つの断言をそのまま通さず、いろんな人の声を合わせて、いろんな情報と専門家の声を聞いて決定をしていくと、平和の値に近づけていけるのかなと思う。

そういう思考回路をもとにすると、さとさきは、自分の活動や経営の方針も、「断言はこわい」と思った。さとさきがイメージする敏腕な社長は、どちらかというと「判断」と「断言」が上手い社長だった。でも8年くらい前にチームを組んだ時に「社長はへっぽこがいい」という方針で、かれこれ8年へっぽこをやっている。

でもそのうち何年かは、ひとり会社で、スタッフさんは外注で、ワンマン経営だったから民主主義も何も、さとさき独りの孤城だった。そういえばそういうときにこそZeppワンマンができたし、改名騒動があったのかもしれない。

今は、コロナ禍の2年間の間に状況が変わって、さとさきは2社をさとさきの100%出資で経営していて、どちらの会社も経営が安定してきて、雇用が生まれて人が集まってきて、小さいコミュニティになっている。今年は特に、いくつかの新事業のスタートを予定していて、さとさきが苦手な組織運営をしていかなくてはいけない。

さとさきは、「わかりやすい断言」のできるトップを理想として描いていたし、社長はそうあるべきという考えの人は多いと思う。でもさとさきは、「わかりやすい断言」がこわくなってしまったので、関わる全員の意見の折衷案にハンコを押すタイプの経営に挑戦していきたいと思っている。

そういうことを考えながらで、さとさきと弊社からの人事に関するお知らせを4月1日に予定している!

わかりやすい断言は魅力的に見えるから、「私が絶対にあなたを幸せにする!」みたいな断言も魅力的なんだろうなと思う。さとさきは、ファンの人に対して、そういう断言ができないけど、他の情報にも触れながら、「総じてさとさきりさ好き〜」って感じでみんなが見ててくれたら嬉しいし、実際そういう温度感の界隈になってるのかなと思う。さとさきがわけわかんないなって時は、さとさきのファンはさとさきのことスルーしてくれるし、それでいいと思ってる。

子供の時は、嫌なことしてきた友達がいたら、ゼロか100で、「嫌い」とかあったけど、大人になるにつれて、「あの人のここは自分的に解せないけど、総じて好き。」みたいなグラデーションで豊かな人間関係を築いていけるように、どんな事象に対しても情報や意見を集めて「総じて」いける人間になっていきたいなと思った。

おわり


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