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供花は自分を慰める。

今日は24日か。
じいじが亡くなったのが6日だから、
18日経ったのか。
はえーな。

ハガキサイズくらいの
じいじの遺影を
追加で2つ作ってもらい、
兄とワテがそれぞれ持ち帰った。

ワテのキッチンの笠木に置いてある。

毎朝お水を汲み直して湯呑みに入れて
供えて
「じ〜いじ! おはよー」と
挨拶する。じいじは大変良い顔で
優しくいつでも微笑んでいる。

花がないなー、
花を供えたいなーと思っても
スーパーで見ると、
途切れず花を供えたらなかなかの出費だ。
だからって、造花も興ざめっつーか、

で、今日、
ドラッグストア行ったら
小さなスプレー菊みたいなのの鉢植えがあったからそれを買ってきてみた。
チョキンと1枝切って、
小さなガラスに挿してみる。

うん、いいぞ。

じいじの乗ってた車に
じいじのサングラスがあったから
それも遺影のそばに置いてみた。
これはワテがもらっちゃおう。遺品として。

花は、じいじを弔うためだが、
ワテ自身も慰めてくれる。
花を供えて、ワテが落ち着く。

母とも今日散歩して喋ったが、
とにかく元気だった人が
急に亡くなったので
まだ受け入れられない、と母は言っていた。
受け入れられないっつーか、要は
実感がないってことだと思うが、

ワテも、
またじいじが、
「おぅっ!」って片手を挙げてニコニコしてうちに来るような
そんな気がしちゃうんだよね。

なんだか
嘘みたいな

幻の出来事のような

うーん

でも
時間は流れてるのは間違いない。

そしていつか母さえ亡くなるのだ。

恐ろしいねぇ。

そうやって昔から人はやってきたのだ。

これを繰り返して来たのだ。

うーむ。



まぁいいや。風呂行こw

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