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青春は永遠なのかもしれない

春は出会いの季節である。
同時に、別れを乗り越えなければならない季節でもある。
しかしその高揚感と寂寥感は、私にとって多くの場合、釣り合わないものであった。

ふとした瞬間襲いくる寂寞に耐えるほかなかったのだ。
それほどまでに、私にとっての青春は掛け替えのない日々であった。

若輩者なりに、そんな春を幾度か過ごしてきた。

ところが文明とは便利なものだ。二度と触れられるはずのない過去でさえ、「現在」に更新されながら歪な長方形の中にしまいこまれている。所々色褪せて見えるその姿さえ、どこか愛おしく感じる。

随分とメカニカルなタイムカプセルを眺めながら脳裏に浮かぶのは、友人の声であり、放課後の喧騒であり、豊かな日々を彩った音楽たちである。


話は変わるが、私は高校時代から"Apple music"を利用している。何千何万と楽曲を再生したのだろう。
あちこち指を動かしていると、ずっと下の方に「あ」と銘打たれたプレイリストが見える。
かつて飽きるほど聞いたプレイリストだ。

時々彼らが恋しくなる。再生した楽曲群には、今や丸っ切り聞かないような曲も多くあることに気づく。
ところが移ろいゆく記憶とは裏腹に、忘れ去ったはずのメロディや歌詞はまるで流行歌の如く私の口から溢れ出る。
そうして「懐かしさ」は、涙とも笑顔ともつかない、ただ確かにポジティブな形で私の表面に立ち現れる。

当然神宿も例外ではない。
安っぽいMVに衝撃を受け、教室に部室にところ構わず安っぽいダンスを踊り、突如訪れた失恋にも彼女たちの楽曲と共に立ち向かった。
儚くも波乱な青春の一部に、確かに神宿があった
だからこそ、あの日ギターをかき鳴らしたサザンオールスターズやオアシスと並んで、神宿が大切なのである。



何にも代え難い友人との記憶は、きっと文明の限り永遠だ。同時に私が神宿と出会い、彼女らが毎日を綾なしたという事実もまた、永遠なのだろう。
いつか神宿が神宿でなくなったとしても、私を、あなたをカラフルに染め上げた彼女らとの日々、そして楽曲たちは不滅なのだ。

とりとめのない文章を締めるには少々物足りないが、もしかしたら、青春は永遠なのかもしれない。

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