何の秋

時間的に余裕ができたので本でも読もうと思って図書館に来たけれどやっぱり実際に目の前にするとすうっと読書欲(?)が消えうせる。同属嫌悪なのかもしれない。とにかく青い皿だらけのパーティみたいだ。

思えば詩をつくり初めてからどんどん読書量が減っていった。両親がわりかし本を読む人達だったから、小さい頃から毎晩寝る前に物語を読んでもらったし、そのせいか幼稚園や小学校の図書カードはいつもいっぱいだった。

私の詩は10歳くらいまでに蓄えた日本語で出来ている。日常会話をようやくまともにこなせるようになったら、もうインプットは必要なくなったのかもしれない。思考能力が言語能力を超えたのかもしれない。

私の言葉はこどもっぽい。
年をとって私の外的な構成要素と気の持ちようはどんどんすれ違っていく。21の今、それを強く感じていて、実際に私の体が過ごしてきた絶対的な時間に追い越されそう。
もっと年齢を重ねた時にどんな風に詩が変わっていくのかな。
アラサーになっても今みたいな詩を書いてたら困ったもんだけど、やっぱり私はうまく変わることができずにいつか言葉を捨てるのかもしれない。

人の文章をあまり読まないのは、変えられることを恐れているからかもしれないし、作者の意図と物語を同時に追わせる時間的余裕が、読書という行為にはあって、疲れるからかな。それを見越して、読む前からうんざりしちゃう。
映像は考える時間を与えてくれないから、本よりはだいぶマシだね。それでもファンタジーばかり観ているけど。