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つくる

あれだけ気分の低迷や不安をここに書き連ねたあとに
何かしていないと気持ちが落ち着かずipadを手に取った。
ここに気持ちをだらだらと書き続ける以外に
何かこのモヤモヤを消化する方法はないかと考えていたら
衝動的にLINEスタンプを作り始めていた。

多分、もしかしたら、自分の場合は何かを表現したり
作ったりすることでネガティブな気持ちが少しだけ
腕から漏れていくのかも知れないと思う。

文字を書いたり、絵を描いたり、料理をしたり。
アウトプットすることで達成感を得ている感じ。
大小問わず何かを成し遂げたんだから、
今自分はここに居てもいいんだというような気持ち。

それを決めるのは自分自身なのだから、
何もしなくても自分の存在を肯定すればいいのに
それができなくて今日はスタンプを作った。
以前作ったものと同じ形式ではあるものの
今回はつらい時に使うスタンプ、というテーマになった。

しんどい人がこれで気軽にSOSを出せればいいなと
思った気持ちは嘘ではないけれど、多分これはそれだけではなく
自分自身のSOSをスタンプという形で表現したのだと思う。
なんて回りくどい。なんと陰気で小賢しい表現方法か。
素直に「しんどいから話を聞いて欲しい」がいえないのだ。

我ながら屈折していると思う。待ってましたとか、
絶対買うねとか、そういう言葉で満たされようとしている。
どこまでいっても存在意義と自尊心のバランスを
他人の評価に求めずには居られない。

友人に、自己肯定感のとても高い人がいる。
自分は自分だと心の底から割り切れている人だ。
本当に羨ましいと思うし、そうなりたいと思う。
しかし自分は絶対にそうなれないとも思っている。

結局他人は他人で、その一端を垣間見て羨望しても
自分がその人と同一の精神構造を持つことは不可能だ。

真似てみるのもいいかもしれないし、
考え方を取り入れてみるのも良いかも知れない。
これまでも何度かそういうことをしてみた事がある。

ガタが来るのだ。あろうとする自分と
現状の自分との間には埋められない溝があり
そのギャップが日々重くなってきてしまう。
簡単に塩梅を調整できるものでもないし、
やめようと思ってすぐにやめられるものでもなかった。

結局は元来の考え方に落ち着き、そのまま大人になり、
今こうして誰にあてるでもない懺悔じみた文章を書いている。

どうして自分を認めてやれないのか振り返ってみる。
子供の頃、大人に否定された原体験もあったし
何かにつけて手を抜いて60点でやり過ごしてきた事もある。

何かに本気で取り組めば自信がつく、という人がいる。
失敗して、学びを得て、今後に活かし、そして成功を収める。
美談だと思う。それができれば確かに自信もつくと思う。
しかしそれを始めるには自身の評価を固めすぎた。
見栄を張り自分の最低ラインを高く設定しすぎた。
今人目のあるところで本気で何かに取り組み、挫折して、
悔し涙を流すことが、多分もう、自分にはできない。

なんだかんだでそつなくこなす自分を
必死でギリギリのところで保っている。
それ以上の挑戦や改革など手をつけるのが恐ろしい。

そこで失敗してしまえば、次頑張れる自信が、ない。
自己肯定感をあげるために必要な自己肯定感が、ないのだ。

せっかくできた長期間の休みだ。
社会一般ではただの無職の期間だが、
自分を立て直したり、俯瞰したり、休めたりするには
ちょうど良い時間だと思う。情けない事ばかりで嫌にもなるが
少しずつ自分を整理していく時間にしたいと思った。

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