ツナサンド観察記

一人暮らしを始めたからといって、
生来の苦手意識がなくなるわけでもない。

大抵は街に人見知りしているので
ぽっかりと次の予定まで時間があいてしまうと、
わたしはとても混乱する。

せめてもと安心できそうな喫茶店に逃げこむのだけれど、
(そういうときタバコの匂いはとても安心する)
基本的に警戒しているからか、
周りを見渡し、つい会話を盗み聞いてしまう。

ひとの会話は、リズムだ。
ひとは、内容というよりはそのリズムで、
相手の好き嫌いを決めているのだと思う。

そして、救いを求めて喫茶店に入るような気分の時はたいてい、
隣のテーブルには苦手なリズムのひとが座っている。
今回も例にもれずそうなった。

 結局は営業成績よりも自分がドウ思うか、だからさ。
 要は自分にきびしくするか、やさしくするかってハナシで。
 まあ、でも、このマチは、比較的、あれだね、
 やさしくはない、自分にね、人たちが多い。ウン。
 だからサ、キミも全然力むことないよ。
 上も実際、数字なんてあってないようなもんだって思ってるから。
 ね?そりゃさ、バーを超えられ続けないってのはきついけど・・・

向かいに座っている女は、
男の話の3%ほどの尾ヒレをひきとって返事をすることで、
男から「そうなんだよ」「本当にね」
という文句を引き出すことに成功している。

わたしは隣でそれを観察し、
同時に徹底してビクビクしている。

そして、

きっと、献血で集まる血は、
他人にやさしい心の持ち主だったり、
断るのが苦手なひとの血でいっぱいだろうから、
たとえば一斉に号令をかけて、
みんなから有無を言わせず等しく集めた血とは、
きっとどこかしらの成分が違っているのだろう。
とか、そんなことを考えながら、
注文したツナサンドを待つ。

男と女の奥のテーブルでは、
おばさん二人が、
詮索好きなだれかの話をしていて、
その向かいでは、男がパソコンを心細そうにカタカタ言わせている。

(あ、このひとは怒られる。)

そう思った次のシーンは、
喫茶店オーナーがそのパソコン男の前に立ち、
わたしに背を向けて何か言っているところだった。
どういう話かは聞こえてこないけれど、
男は背筋をびくっと伸ばし、目を泳がせて、
口元は「はい」「すみません」の形をつくっている。

怒るひとと怒られるひとを囲む空気は、
怒りの前に、一瞬、歪む。

小さい頃から人に怒られるというのが嫌いすぎて、怖すぎて、
対象が自分か他人かにかかわらず、
「怒り」が生まれるほんの数前くらいに、
気配を嗅ぎとるようになってしまった。
その危険を察知して、
学生時代、爆発寸前の大人から逃げたことが幾度かある。

パソコン男は、何度も「はい」「すみません」を繰り返している。
その度に、オーナーの背中は、肥大して見える。

ツナサンドが運ばれてくる。
みんなそれぞれのテーブルで、それぞれのことを話している。
男は営業のコツを女に教え、女は処世術でうまく答え、詮索好きなだれかを詮索するのでおばさん達は盛り上がり、パソコン男はおびえ、オーナーは怒っている。

口に運んだツナサンドが咀嚼されて胃の中に流し込まれる様と、
献血で集まった有象無象の赤血球とか白血球がぐちゃぐちゃに混ざり合う様が、頭のなかで繋がって、わたしは気持ち悪くなってしまう。

みんな生きているんだ、と思う。
みんな、カラダにたっぷりと血を蓄えて、生きている。

ツナサンドは、がんばって、全部食べた。

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