広島細密日記②

5:30の目覚ましの前に目が覚める。外はまだ薄暗い。ぼんやりとした頭で、昨日の記憶をダウンロードする。なんでこんなに早く起きる必要があるのか思い巡らし、6:25に始発のフェリーが出ることを思い出す。そうだ、朝の厳島神社に行くのだ。朝の海を見て、朝のフェリーに乗るのだ。

シャワーを浴びて身支度を整える。チェックアウトを今してしまうべきか、どのみち帰ってくるか、どちらが効率的か天秤にかける。旅にはたくさんの天秤が登場する。なにを食べるか、どれに乗って行くか、どこから見るか、右か、左か、やるか、やめるか。結局、一度ホテルに帰ってくることを選び、部屋の荷物はほっぽらかして外に出る。

朝は特別な時間だ。特に海辺の街にとっては。街の気配、空、風、海、鳥の鳴き声、それらを塗る色、すべてに新しい「感じ」が満ちている。海はとろりとした乳白色で、優しげに揺らめいている。ところどころ、鮮やかなだいだいの空の色に染まっている。カモメが群れをなして飛んでいく。

ホテルの目の前がフェリー乗り場であることに助けられて、始発のフェリーに間に合う。数組の人が私の前に並んでいる。一組の家族が、フェリーの前でくるりと陸に振り返って写真を撮る。朝の逆光が家族と海を包み、家族はなにか選ばれた家族に見える。フェリーに乗り込み2階のデッキへ立つ。撫でていく風は少し肌寒い。ウィンドブレーカーを一番上までしめ、顎のあたりまでうずめる。街は眠っている。そしてこれから始まろうとしている。

ちょっとだけ灯油の臭いがして、それはすぐに潮の匂いに変わる。細かく振動し、フェリーは白い飛沫をあげて動き出す。よく冷えたビールジョッキにつく泡のような細かい跡を残して進む。すぐにアナウンスがある。

「本日は、JR西日本、宮島口航路をご利用いただきましてありがとうございます。車でご利用の方は、お手数ですが一旦車を降りて、デッキにお越しください。本船は安全第一で運行しますが、万一の異常の際には係員の指示に従って・・・」

世の中のすべてのシステムめいたものには、こういうお約束の文言があるけれど一体誰が考えているのだろう。大枠は定型化されてはいるが、「お願いします」を選ぶか「よろしくお願いします」にするか「どうぞよろしくお願いいたします」にするかで、わずかに違いが出る。それを制定した人の用心深さや礼儀正しさが伺われる。

それにしても朝の海と夜の海は、見ていて感じることが全然違う。朝の海の表面は、こまやかな幾何学模様を描いている。ちょうど、何度も丁寧にくしゃくしゃにしては広げ、くしゃくしゃにしては広げした紙のように。手触りがよく、ほんのりとあたたかそうにすら思える。カモメが飛んでいる。そのうちの一羽がこちらに寄ってきて並走する。舞茸を上から眺めたみたいな色合いをしている。しばらく並走し、何事もなかったかのように、静かに着水する。

朝の海は一瞬だ。今見ている色もやがて失われる。

宮島に着く。昨日は闇に包まれて見えなかった部分が姿を現す。もの珍しそうに近づく人とかまわぬ鹿の光景があちらこちらに見られる。宮島へ向かう鹿に着いていく。まだ7時前。出店はもちろん開いていない。結局、宮島のどこかの店に入れることは、この旅ではないだろうことに気づく。

拝観料を払い、手酌で手と口を清めて、厳島神社に入る。緑青色の水の上に、赤く塗られた柱のトンネル。それぞれの床板の間にはわずかにすき間が空いていて、それが体重をかけるたびわずかに傾き、小さく音を立てる。特別な建築法だとどこかで読んだが思い出せない。廊下を渡りながら、その時代生きていた人たちを想像する。ここにだれかの日常があった。水はじわじわと海に向かって吸い込まれていき、場所場所で小さな渦をつくる。舞が行われたであろう舞台が見えてくる。歩いて進む。思っていたほど感動はない。ただ赤い芸術がある、ということが確認できる。厳島神社から眺める正面の鳥居の歴史やなりたちを、フェリーのアナウンスが教えてくれていたが、よく思い出すことができない。それよりも海に向かって祀られているというのが、掴みどころがなくて素敵だと思う。五重塔を遠くから仰ぎ、大願寺、大聖院を参拝したところで、小雨が降り出す。あ、雨だ。周りにいた人々が自分の肌が思ったことを口にする。雨が地面を濡らすスピードと合わせて、気持ちが満足していくのが分かる。もうここには来ないかもしれないな。いわゆる「名所」を訪れるたびにそう思う。一度でいいから見てみたい、に二度目はない。

同じように切符を買い、同じように切符を見せ、同じようにフェリーに乗り込む。乗り込む前、目の前にいた男性がくるりと振り返って「あれが、厳島神社ですか?」と尋ねてくる。一瞬呆気にとられながら「はい、あの赤いのが、鳥居です。」と答える。「はあ、あれがですか。へえ。」と海に浮かぶ赤い鳥居を目を細めて見つめ、フェリーに乗り込んでいく。宮島から出発するのに(正直、フェリー乗り場と鳥居は目と鼻の先と言ってもいいくらい近い。歩いてものの10分だ。)なぜ鳥居を見ていないのだろう。様子からすると観光客なのに。宮島に来て鳥居を見ない。その理由を想像する。そうしているうちに船出する。

宮島口に着くと、これから宮島へ向かう人で港は溢れかえっている。まだ8:30だ。朝の厳島が静かに見られたことに安心しつつ、ホテルに戻り朝食を食べる。おにぎりと味噌汁とゆで卵とウインナーとサラダを適当にとり、海を眺めながら食べる。チチヤスのヨーグルトと牛乳が出ている。彼の生まれ故郷が広島だということを知る。隣のテーブルでは中学生の男子二人が、無言で朝食を食べている。パンとおにぎりとおにぎりとおにぎりが、プレートにバランス悪く並べられている。その変に空いた余白が不安な気持ちにさせ、余白と彼の寝癖が「中学生だ」という感じをどこか決定的なものにする。フェリー乗り場に並ぶ人を見ながら、ぽつりぽつりと会話する。

「ひと、すごいな」
「な」
「みんな早起きだなあ」
「すごいな。ぜったいむりだ」

チェックアウトの11時までまだ2時間ほど余裕があること、とても早起きだったこと、お腹がいっぱいであることが手伝って、10時半すぎまで部屋で二度寝をする。フロントから電話がかかってくる。もうすぐ出ます、と伝えると、部屋のカギが外のドアノブに差しっぱなしであることを教えてくれる。謝ってカギを引き抜き部屋にいれる。

チェックアウトをすませ、外に出ると、先ほどとは少し空気が変わっている。ひとが動き出している街の空気。1日はとっくに始まっている。電車に乗り、原爆ドームへと向かう。宮島口からJRに乗り、そのあと路面電車に乗り換える。広島では路面電車がごく普通に息づいている。珍しくも何ともないという感じだ。PASMOが使えないことが分かり、車内に貼られているステッカーなどをきょろきょろ見渡し、運賃ルールを自分の中に取り込む。人に聞くのは苦手だ。できればすべて見つけることと観察することと推察することでおさめてしまいたいと思う。太陽が真上に近づくにつけ気温は上がり、自分がだいぶ厚着していることに気づく。緊張も手伝って身体が熱い。すべての荷物を大きなリュックひとつにまとめている自分の姿が電車の窓に映ると、旅をしているという実感が湧いてくる。

原爆ドーム前で降りる。広場が見えてくる。外国人、旅行客、地元の人が行き交っている。入り口の看板標識の<ドローン使用禁止>という文字だけが奇妙に浮いて見える。生まれて初めて見る原爆ドームは、教科書やテレビで見たままで、「戦争を忘れないスイッチ」として時が止まっているようだ。1年前に見た石巻の大川小学校を思い出す。東北大震災の被害を受けた小学校も、同じく時が止まっているように見えた。悲しい記憶を背負う建物には、きっと共通した何かあるのだろう。違うのは、それが人によるものか、自然によるものか。

原爆ドームを見ながら、ここで起こったことのその瞬間を想像してみる。できない。分かってはいたけれどやっぱりできないものだと思う。わたしの想像力はそんなに立派ではない。「忘れない印」として捉えるので精一杯だ。ドームの前では、ひとが代わる代わる写真を撮っている。そのものをおさめている人、一緒に映っている人、ピースをして笑っている人、セルフィしている人。石碑の上に子どもが乗っている。「永久に繰り返さないことをここに誓う」という石碑の上に子どもが乗っている。母親が子どもに向かって言う。「こっち向いて!わらって!写真撮るから」子どもは石碑に足をかけて笑う。別の子どもが「ここ原爆が落ちたんでしょー」と自慢げに親に語る。「えーなんで知ってるの?すごいね!」「んー、なんかで。ほら書いてあるじゃん!」「えーすごーい、すごいねー」頭の後ろがカッと熱くなる。どうして教えてあげないんだ。なんで目の前にあるのに、見てるのに、見えてないんだ。ここであったことが何だったか、死ぬっていうのがどういうことか、なんで起きてしまったか、別に知識がなくたって、想像できなくたって、分かんなくたって、話せることはあるはずなのに。もっと言葉はあるはずなのに。子どもが興味をもっているのに、なんで教えてあげないんだ。ジンジンする頭で、思うまま思う。それでもこの考え方もどこか違うことに薄々気づいてくる。平和は、そうでなかった時代に対してすごく無神経で暴力的でだからこそ平和と呼べるんだということに気がついてくる。平和と平和でなさは二律背反で、私が彼らに対してカッとなるのが正しいかもまたわからない。正義ぶってるだけじゃないだろうか。普段は考えもしないのに。ベンチに座って目をつぶってひとしきり考える。横を流れる河を見ていると、気分が落ち着いてくる。色んな人がいる。ボランティアがいる。外国人がいる。集団がいる。赤ん坊がいる。学生がいる。カップルがいる。リュックの中でつぶれかけた紅葉饅頭を食べる。洋風とパッケージに書いてある。こしあんにオレンジピールは必要ないなと思う。

河を渡す橋を渡って平和記念資料館の方へ向かう。風がよく通りそうな開けた広場に出る。空は澄んで青い。いわし雲の集団が、首をいっぱいに曲げても眺められるくらいに広くかかっている。広場の中央に慰霊碑がある。手を合わせる。くるりと振り返って平和記念資料館へ向かう。ロッカーに荷物を預け、50円の入場料を払い、300円の音声ガイドを借りる。一部リニューアル工事中で見られない部分があると知る。

ひとつひとつ、ボタンを押して音声ガイドを再生しながら展示を見て回る。ナビゲーターの吉永小百合の声が流れてくる。思いのほか中は混み合っていて、流れに沿ってゆっくりと進む。B29、エノラ・ゲイ、爆心地からの被曝エリア、当時の広島の町並みなどが模型で図解されている。被爆したひとの持ち物が透明なガラスケースに入れられている。着ていた服、持っていたお弁当それぞれの側に、白い統一化されたプレートと、統一化された文言が並ぶ。小学校か中学校の国語の教科書を思い出す。

「◯◯◯◯さんは、爆心地から◯㌔離れた場所で、◯◯中に被爆しました。(当時◯◯歳)これは、◯◯◯したときのものです。」

音声ガイドからはもっと別の、詳細なことばが流れてくる。いざという時のために用意していた薬もすべて原爆で溶けてしまったから被爆した娘に薬をあげられず、十分な手当をできなかったこと、そしてそれを死ぬまで後悔していたこと。楽しみにしていたお弁当を食べられずに亡くなってしまったこと。遺体の見分けがつかず、着ていたモンペの模様からしか判断する術がなかったこと。割り当てられた誰のかもわからない遺骨を自分の息子のだと思って持って帰るしかなかったこと。放射線を浴びたことで黒い長い爪が生えてきてしまい、そこには血管が通っていて剥がれると血が吹き出たこと。そういう言葉たちが、耳から次々に伝わって視界をぼやかす。次の再生ボタンが押せなくなる。聞きたくない。無理だ、もう無理だ無理だ無理だという声が頭の中に響く。手は勝手にこぶしをつくる。手すりを小刻みにガンガンと叩き、短く息を吐いて続ける。フォーマット化された、プレートの言葉は重大な何かを取りこぼしている。そこには亡くなった人は生きていない。ふと、知っている人の香水が鼻をかすめる。実際に匂いがしたのか、記憶から引っ張りだしたのかわからなくて混乱する。混乱して、その瞬間、強烈に生きたいと思う。心から死ぬなんていやだと思う。生きてほしいと思う。会いたいと思う。声を聴かなくちゃと思う。さわりたいと思う。

1時間半ほどかかって見られるすべての展示を見る。出口にあるソファにもたれこむ。ひんやりとした壁の感覚だけが伝わってくる。窓から見える空が青い。しばらくの間ぼんやりしてから立ち上がる。ロッカーに預けていた荷物を取り出して、資料館を出る。出ると、今見て感じていたものが、だんだんと幻だったような気持ちになる。急速にどこか遠い世界のことのように思える。養生中の芝生が揃えられて美しい。広場中央の慰霊碑に戻り、手を合わせる。1度めよりも深く。目を開けて、死没者追悼平和記念館に向かう。

自動ドアを開けると、市民プールのように生温くて塩素のかすかな匂いが流れ込んでくる。ほんのりと明るい光に包まれた下っていく廊下を進む。ゆっくりと、違う世界に向かうような気持ちになる。後になって、パンフレットに「反時計回りのスロープを下ることで、時間をさかのぼる効果があります。」という説明を見つける。下りきると、円形の部屋に出る。中央には水が流れていて、被爆した人数と同じ14万のタイルでできた当時の広島の街の絵が、ぐるりと壁に貼られている。円形の淵にそれぞれベンチがあり、人が座って思い思いに過ごしている。入り口から一番奥のベンチに腰かける。目をつぶる。目を開ける。別の出口から地上に出る。被爆者の手記を読み上げたビデオが流れていて、近くには手記を自由に閲覧できるようになっている。ひとりひとりの手記を読む。めちゃくちゃな悲しみと苦しみの人生。知らない人が苦しんでいる。この時代の人はずっと文章が上手だ。書きたいことに対して、語彙や使い方をきちんと持っている。歩ける地図を持っている。そしてそういう人たちがたくさん死んでいる。

ただ吸えるだけ吸おう。抱えられるだけ抱えて、感覚も知識も分かれるだけ分かろうと思う。理解できるほど想像力が豊かではないことは分かっている。それでも分かろうとしたかった。そうして、原爆ドーム、資料館、記念碑すべてを回って、その都度、広場の慰霊碑に戻る。目をつぶって、抱えられないものは置いていく。

時間は4時を回っている。原爆ドームは西日を受けオレンジ色に染まっている。猛烈にお腹が空く。とにかくお腹が空いている。ギトギトの何かを食べたい。身体に悪いものが食べたい。近くのラーメン屋に入る。お客はいない。ビールを飲んで油そばを食べる。モニターのバラエティ番組を眺める。あっという間に丼は空になる。ビールジョッキも空になる。帰ろう。

商店街沿いの広島なんとかセンターみたいなところでお土産を買って、いよいよリュックはパンパンになる。後ろに体重を持って行かれつつ広島駅に戻る。「混んでますか?」「そうですね、三連休ですから」「でも、自由席でいいです。」恐怖に負けずに自由席を買う。この旅での唯一の成長。新幹線に乗り込んでひたすら眠る。起きて、コンタクトの乾きを呪い、また眠る。それを繰り返し、京都を過ぎ、名古屋を過ぎ、新横浜で降りる。久しぶりに実家に帰る。お土産をばさっと並べ、洗濯物をカゴにはき出し、犬をぐしゃぐしゃに撫でて、いつものようにベッドにたどり着けず、ソファで眠る。

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