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前の席のあの子は『アイの歌声を聴かせて』もらえたか? 中編

 今回も前編同様『アイの歌声を聴かせて』と『Vivy ーFluorite Eye's Songー』の内容に触れる。前編よりかなりネタバレ要素が強いので、作品に触れた上で読んでいただきたい。

(前編はこちら)

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 この映画における《アイの歌声》とは、単にシオンが自身の意志で曲を生み出す以上の意味があるらしい。ぼくはそう考えてみることにした。

 観ているうちにシオンにも「使命」と呼べるものがあることに気づく。それはサトミを幸せにすること。実にドラマチックだが、公にできないチューリングテストに用いる実験機には不適格と言わざるを得ない。シオンを開発したのがサトミの母親の美津子であるにしても、彼女自身の研究人生がかかっているのにそんな設定をするのは不自然だ。シオンの「使命」はどこからやってきたのかという疑問は作中の重要なギミックとなる。

 そしてシオンは『Vivy ーFluorite Eye's Songー』のヴィヴィが《心を込める》ことに悩み続けたのと同様に“使命”の壁にぶつかる。“幸せ”という言葉の定義が曖昧すぎるのだ。

 AIの本質は「y(x)=2x」のような関数だと言うことができる。xが入力でyが出力。例えばx=2と設定すればy=4と返ってくる。自動販売機のボタンを押せば対応する飲み物が買えるように、AIとは入力に対し決められた定義に従い出力する装置である。

 だから曖昧で定義付けできないものを苦手とする。人間なら曖昧なものであると結論付けてやり過ごしてしまえるが、AIにはそれができない。『アイの歌声を聴かせて』の原作・脚本・監督を務めた吉浦康裕氏は、パンフレットに掲載されたインタビューでAIを題材にする利点のひとつを「融通の利かなさがひたむきさや一途さに変換できること」としている。幸せなんて蜃気楼のようなものだとうそぶく融通を持たないAIだからこそ切実に追求できる。人間の転校生が《サトミ!いま、幸せ?》と連呼してもほとんどカルト宗教の勧誘だが、AIだと本質的な問いかけとして幾分か受け入れやすくなる。確かに創作上の利点だ。

 シオンは物語の中で《サトミを幸せにする》という「使命」を与えられていた。それはメタの視点において《幸せを定義付ける》という「使命」を持つことと同義だ。彼女の模索によって『アイの歌声を聴かせて』は《幸せとは何か》という命題を描くことになる。

 作中でシオンはいくつかの幸せの形に出会う。打ち込めるものを持たないゴッちゃん。彼に素直な想いを伝えられないアヤ。柔道部で熱意十分だが本番に弱いサンダー。それぞれに悩みを抱えたサトミのクラスメイトたちとの交流を通し、シオンはある種のAIらしさを発揮する。誰もが抱く他者の領域へ踏み込む躊躇いを持たないから、悩みの中心へ風穴を開けてストレートな言葉を放り込んでしまえる。それが多感な高校生たちを幸福のスポットライトでまばゆく照らし、シオン自身にとっても「学習」の契機となっていく。

 その果てに幸せを定義付けられたとき、ぼくたちは真の意味で《アイの歌声を聴かせて》もらえる。『Vivy』の手法において『アイの歌声を聴かせて』を解釈するならそういうことになる。

 事実、物語を通してシオンは幸せについて確信を得ていた。彼女がサトミのためクラスメイトたちと共に「You've Got Friends 〜あなたには友達がいる〜」という曲を歌う場面がある。この曲は次のような歌詞で始まる。

《あなたはいま、幸せかな?教えてあげるね》

 シオンは事あるごとに《サトミ!いま、幸せ?》と問いかけていた。彼女自身が幸せの定義を持たないから、直接訊いて確かめるしかなかったのだ。それが《教えてあげるね》と歌えるようになっている。これはまさに《アイの歌声を聴かせて》もらえる瞬間と言っていい。

 しかし、だ。物語はそこで終わらない。この曲をサトミに届けたことがきっかけでシオンは設計に無い挙動を示したと判断され、彼女を開発した星間エレクトロニクスに連れ戻されてしまう。この作品ではシオンを開発した美津子を疎む一部の人間がこれ以上無いほどわかりやすい悪役らしさで描かれていた。これはシオンを連れ戻されてからサトミたちが奪還のため奮闘するのを盛り上げる演出だ。この戦いは終盤を支えるひとつの軸となるため、わかりやすい熱さを持った展開でなければならなかった。

 シオン奪還はエキサイティングでハートフルで時にコミカルであり、エンターテインメントとして優れたものである。ぼくの前の席で鑑賞していたあの子が《感動した》と即座に言えた一因も、ここが面白くて後味の良い作品だったからであることは疑う余地が無い。しかし――ぼくは再び“しかし”と言わなくてはならない。

 AIであるシオンが幸せを定義付けることを《アイの歌声を聴かせて》もらう要件とするなら、星間に連れ戻される直前でこの物語は完結してしまう。以降の内容は娯楽として素晴らしいものであっても、物語の主題に対して蛇足と言わざるを得ないのだ。この作品のタイトルが『サトミのシオン救出大作戦!』ならこの展開で満点だろう。だが『アイの歌声を聴かせて』としては冗長だ。

 もちろんぼくもそんな馬鹿馬鹿しい考えを本気で主張したいわけではない。この映画はシオン奪還も含めて完成されている。確かに面白かったと思って充足されたぼくの感性がそう告げていた。だから、前提条件が間違っているのだ。

 《アイの歌声》にはAI自身の意思で歌う以上の意味がある。そして曖昧な「使命」を定義付けるという以上の意味も。




 奪還作戦の直前にシオンの正体が明かされる。実は「シオン」と呼ばれるAIは二種類あった。

 ひとつはサトミの母である美津子たちのチームに開発され、チューリングテストのため「芦森詩音」の名でサトミの高校に送られてきたもの。そしてもうひとつは、サトミの幼馴染でAIマニアのクラスメイト・トウマが小学生の頃におもちゃのプログラムを書き換えたもの。

 トウマは好意を寄せるサトミのため、彼女のおもちゃに会話できる機能を与えた。 設計のコンセプトは《サトミを幸せにする》こと。後のシオンの「使命」だ。こうして定められた枠組みフレームの中で、トウマ作のAIはサトミとの多くの会話を経ながら彼女が『ムーンプリンセス』を観ると幸せになることや、その中でも歌が大きな幸せを生み出すことを学習していく。

 このAIは美津子の同僚によっておもちゃの中から消去されてしまうが、自身の意志でデータとしてインターネットの世界に逃れ、以降もサトミを見守り続けた。その間も「使命」を果たすために進化を続け、やがてAI搭載の精巧なヒューマノイドを見つける。それこそ美津子たちのチームがチューリングテストのために作った「芦森詩音」としての肉体だ。こうして幼い少年が作ったAIは、サトミの友達となり歌を届けられるシオンという少女の姿になった。

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 つまりシオンの「使命」の源泉はトウマがサトミを想う気持ちにあった。少年の願いが伝播してAIの意志となる。さらにそれが広がり、ゴッちゃん、アヤ、サンダー、美津子、そしてサトミ自身に新たな願いをもたらす。星間ビルでの奪還作戦はそれぞれにシオンの幸せを願う気持ちが顕現したものだ。それはトウマの願いの延長として確かに物語の地下水脈に貫かれている。

 AIは関数だと書いた。入力に対して出力を返す装置。ボタンを押せばジュースが出る。思い出を得れば心を込めて歌ってくれる。『アイの歌声を聴かせて』という作品はAIに、正確に言えばアイに願いという入力を与えた。

 対応する出力を観測することこそ、ぼくたちにとって真の意味で《アイの歌声を聴かせて》もらうことだった。




(後編に続く)


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