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栄光と挫折と戸田懐生

 仕事で関わった人に経歴を尋ねられることはそれなりに普遍的な風景でしょう。

 ぼくはそれを尋ねられる度に大学を中退したことを話す羽目になるのですが、一様に《もったいない》という言葉をいただきます。

 確かに入学するために費やした何某かの存在を考えれば、その言葉が出ることは自然です。大卒と高卒では社会的な扱いにも差があるし、仕事で関わる人には歳上の子育てを行っている人も多いですから、そうした視点で《もったいない》と発することもあるでしょう。

 しかし、《卒業》のために要するいくつかのものに対して《もったいない》と思うような、そんな場面もあるのではないかと主張してみたい気がします。もっともこれは、自分の過去を正当化したい欲求以上にはならないのかもしれませんけど。




 2022年のプロ野球は、巨人が開幕から8試合で7勝1敗と好調に白星を重ねています。

 その大きな要因は先発投手陣の活躍です。特に、開幕ローテーションの4枠を戸郷翔征山崎伊織赤星優志堀田賢慎という若い投手が占めたことには特筆性があります。

 開幕8試合目となった阪神戦に先発したのは2年目の山崎伊織でした。大学時代にトミージョン手術を経験し、ルーキーイヤーだった2021年は実戦登板せず終わっています。しかし持っている能力への評価は高く、2年目にして開幕2戦目の先発に選ばれ、この試合は2度目の先発でした。

 初勝利を目指す山崎ですが、初回に2失点を喫してしまいます。故障による長いブランクの後に、キャンプから登板を続けて疲弊していたこともあるでしょう。4回にも1点を失い、なおも二死一二塁というピンチでマウンドを降りることとなりました。

 ここでマウンドを引き継いだのは、山崎とはドラフト同期にあたる2年目の戸田懐生です。まだ21歳と若い戸田は、このピンチでベテランの糸井嘉男をサードゴロに仕留めチームのリードを守ります。最終的には1回1/3を無失点と好リリーフを見せ、山崎より早くプロ初勝利を手にしました。




 戸田懐生という投手の経歴もまた目を引くものがあります。まず独立リーグを経て2020年の育成ドラフト7位という低い指名順位が印象的ですが、彼の波乱万丈な野球人生はそれだけに留まりません。

 愛知県出身の戸田は、中学時代に全国大会に出場するなど、早くから素質の高さを見せつけていました。そんな彼に注目したのが中日ドラゴンズの投手だった若林弘泰です。戸田は東海大菅生高校で監督を務めていた彼に誘われ、地元の愛知を離れて東京で高校野球に臨むこととなりました。

 高校では早くから出番を得て、2年生だった2017年夏には西東京大会で背番号1を背負い優勝に貢献します。甲子園ではエースナンバーこそ先輩に譲って背番号11となりますが、3回戦で完投勝利を記録するなど、3試合に登板して防御率0.69の好投で準決勝進出の原動力となりました。

 ここまでの戸田の野球人生は理想的な眩さに彩られています。当然、そこから続く未来も同様の希望に満ちたものであるはずでした。

 しかし、秋になって悪夢が訪れます。右肘の靭帯を損傷し、ボールを投げられなくなってしまうのです。野球をやるために地元を離れて進学したのにその野球ができなくなってしまった。戸田が降した決断は高校中退でした。




 戸田の中退がぼくやその他大勢のそれと同質であるかどうかには疑問の余地がありますが、やはり彼にも《もったいない》という言葉が当てはまるように思えてきます。

 例えば、もし中退せず東海大菅生を卒業していたなら、ドラフトでもっと早く指名されていたのではないか。

 最速150キロにも達する速球を持ち、独立リーグでも2年続けて好成績を残した彼が育成7位まで指名されなかったのは、身長170cmという小柄な体格や肘の故障歴など、様々な要因が絡み合った結果でしょう。だから中退したことが全てではありませんが、影響が全く無かったとも言い切れません。

 戸田が指名される前年の2019年のドラフトでは、和歌山東高校の落合秀市という投手が注目されていました。奥川恭伸や佐々木朗希などの好投手に恵まれた同年のドラフトで1位候補に挙げられるほどの潜在能力を持っていましたが、未熟な精神面の評価が低く、指名されることはありませんでした。

 激しい生存競争が繰り広げられるNPBの舞台で生き残るには、野球の技術や身体能力といった武器を持っていることが前提として、競争の中でも折れない精神的な強さを持たなくてはなりません。各球団のスカウトは落合の中にそれを見出せませんでした。そして、ドラフト後に「野球はもういい」と発言したことや、周囲の説得を受けて入団した独立リーグをシーズン終了前に退団したことを考慮すると、スカウトの判断は説得力を帯びます。

 故障でブランクを余儀なくされながらドラフト指名に至った戸田と落合を同列に比較することはできないでしょう。しかし戸田の能力を考えると、高校中退の経歴が彼の継続力に疑問符をもたらしてしまったとでも思わない限り、育成7位まで残っていた事実に納得することが難しいのです。

 どんな順位であれ、NPBの球団へ入団できたなら戸田の中退が《もったいない》ものでないと言うことも可能ではあります。とはいえ、ドラフトの順位は、時に一般社会における高卒と大卒の違いのような格差を生みます。

 2022年の巨人は開幕ローテーションに戸郷、山崎、赤星、堀田という若い投手たちを抜擢しました。このうち、昨年までの実績がある戸郷こそドラフト6位ですが、戸田同様にプロ未勝利だった他の3投手はすべてドラフト3位以内の上位指名です。彼らが先発として期待される一方で、戸田がリリーフとして便利屋的に起用されることは、実力以外に指名順位による格差と無縁ではないでしょう。

 もし中退せずに高校を卒業できたのなら。小柄で故障歴があり、独立リーグで鍛錬の期間を要したとしても、もっと高い評価でNPB入りできたかもしれません。そして、入団後の扱いも違ったものであったかもしれません。その可能性を考えると、戸田にも《もったいない》という言葉を与える蓋然性が生まれてしまいます。




 東海大菅生を中退した戸田は、愛知に帰郷して通信制のKTCおおぞら高等学院を卒業します。そして故障が癒えた2019年の6月には独立リーグの徳島インディゴソックスへ入団しました。1年目からクローザーとして抜群の成績を残すと、ドラフト指名が解禁される2年目には先発でリーグ最多の9勝を挙げてNPB入りに繋げています。

 徳島在籍時の背番号は奇しくも甲子園で活躍した時と同じ11番でした。幼少期より憧れていた中日ドラゴンズのエースで徳島県出身の川上憲伸と同じ番号を背負っていたのです。

 一方で戸田は憧れている誰かになりたいという欲求は持ちませんでした。徳島在籍時のインタビューで《誰かに似ていると言われるより、自分の個を認めてもらいたい思いが強いのではないか》と訊ねられると、力強く《そうですね。まさにそれです》と答えています。

 苦境の中で進む道を見失わずにいるための憧れる心と、舞台を見上げる客に留まらず踏み出す推進力としての自我。独立リーガー時代の戸田は眩さを取り戻す予兆を見せていました。




 小柄な体躯に強靭な精神を備えた戸田は、育成7位指名ながら1年目にして支配下登録を勝ち取り、イースタンリーグで8勝を挙げました。

 有望な若手投手を数多く擁するチームにあって2年目の開幕ローテーションこそ逃しましたが、リリーフで目の前の仕事を着実に果たし続けています。プロ初勝利の試合後には原辰徳監督が《彼も先発の中で競っていたのでね、そういう意味ではまだまだ非常に可能性の高い投手ですから》と話すなど、先発起用の可能性も出てきました。

 戸田の中退について肘の故障以上の情報はほぼ見当たりません。本当に肘の故障のみが理由で中退に至るとは考えにくい気もしますが、結局のところ彼がなぜ中退したかは重要ではないのでしょう。

《2年目の戸田懐生です。任されたところを1球1球、全力で投げたいと思います。よろしくお願いします》

 プロ初勝利の後に初めて経験するヒーローインタビューで、戸田は世界に向かって他の誰でもない自分を示しました。

 そんな彼の高校中退は《もったいない》ものだったでしょうか。答えを決められるのは戸田自身だけだし、もしかすると本人すら判断しかねるかもしれません。

 これから誰かに何度同じ言葉をかけられようと、過去は変わらないままです。現在が立脚して未来へ進むための土台として、過去はとても重要な意味を持っています。それでも《過去》というものの値打ちがそのまま現在と未来に適用されるはずはありません。

 1球1球、全力で。2年目の戸田懐生がそうであるように、ぼくたちは目の前をできる限り生きていくしかありません。どんな過去があって、それをどう評されるとしても、振り返って悔やむ時間以上に《もったいない》ものは存在しないのです。






参考



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