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『ワンダーエッグ・プライオリティ』という価値観のアニメと対峙する ワンエグ特別編を観た2

 ワンエグ特別編はリカが悲惨な形でフェードアウトしていきます。アイは「復活」するし、桃恵は平和な日々を送れそうで、物語の後に続く未来が暗いばかりではありません。ねいるもいずれ訪れるかもしれないアイの存在、あるいは同じAIであるフリルとの邂逅に救いを見出せなくもありません。しかし、リカは死んでやると言い残して退場してしまいます。

 とはいえワンエグは4人の少女たちが抱える物語を無理に混ぜず、個々を尊重して描ききった作品。「私のプライオリティ」と銘打った特別編では、もちろんリカのプライオリティも描かれています。今回はそれを掘り下げたいと思います。

 特別編全体の所感と桃恵のプライオリティについてはこちらをご覧ください。桃恵のプライオリティは軽く書きすぎたように感じるのと、リカに重なる部分も多いので今回も結構書いていますが。



 結論から言えばリカのプライオリティは「生きること」です。これが明確に描かれたのは特別編以上に、リカにフォーカスした本編の7話になります。

 7話でリカは自らの心の弱さにつけ込まれ生きることを諦めかけますが、彼女を「母親」と認識する万年の姿に戦意を取り戻し、ワンダーキラーのムカデを倒しました。

 その後、同じくムカデにつけ込まれ命を落とした志乃との会話にリカのプライオリティが現れます。

「あなただって弱いくせに。アムカしてるくせに」
「弱いよ。だから大事なもの捨てなくていいようにこれでバランスとってたんだよ。私は弱い。だけど、それがまんま私なんだ。自分を傷つけてでも、私は生きてやる!」

 自らの弱さを受け入れきれずムカデに取り込まれた志乃と対照的に、リカには弱さを肯定するだけの強さがありました。弱さを受け入れ、その代償として自身を切りつけてでも生きることがリカのプライオリティなのです。



 特別編でリカはねいるの正体を知り、彼女を助けるために命をかけるのは割に合わないと判断します。そしてエッグの世界に見切りをつけました。

「私は降りる。機械のために死にたくないからな。ねいるなんか元々いなかった」

 この決断に彼女の「生きること」というプライオリティが現れます。一方でこの決断は、死の恐怖へ立ち向かわない意志によって戦いを降りた桃恵のそれとも異なっています。その差異はふたりのプライオリティの違いによるものです。

 桃恵は戦いから降りる決断をすると同時に、男子のように振る舞い女子を守るのではなく、女子として守られたいという自身の希望を選択しています。それこそ「僕」と「私」の狭間で曖昧だった桃恵の存在を確定させるプライオリティでした。

 対してリカは守られたいと望んでいるわけではありません。彼女にとっての「生きること」は安全に守られること以上に、傷つくことすら厭わず掴み取るものなのです。だから桃恵から復讐により傷つく可能性を指摘されても、ドットたちへの戦意を捨てられませんでした。

 リカのプライオリティはエッグの世界で戦うことを否定しません。それでも、戦うことは彼女に優先されなかった。



 桃恵とリカのプライオリティはどちらも「生きること」と表現できます。その場合、ふたりの違いとなるのは前提条件です。つまり、桃恵は(かなり大雑把な表現ですが)「女子として」生きることがプライオリティで、リカは「今という時間軸において」生きることがプライオリティということです。

 リカを読み解くにはやはり本編の7話。ここでは「今」という言葉が象徴的に使われています。まず取り上げるのは顔も知らない父親への思いをアイへ話す場面。

「いつか、会えるよ」
「いつか……今会いたいんだ……今……」

 リカの「今」への思いが現れています。しかし、実はこの場面でリカの視線は「今」に向いていません。本当に彼女が「今」を見据えられたのは、ムカデを倒し万年の姿を通して親子の関係性を俯瞰できるようになってからのことです。

 7話のラストで母親の千秋と交わしたやりとりを振り返ります。

「どうせ、リカも私を捨てるんでしょ」
「うん」



「でも今じゃない」
「……そう」

 千秋はただの毒親ではありませんが、やはり手放しに賞賛される母親でもありません。そこに対するリカの不満が消えたわけではないでしょう。9話ではひとり暮らしへの憧れを語る場面もありますし、千秋の言葉を肯定したのは彼女の本心です。

 しかし、顔も知らない父親という「過去」や英語を使って海外で働くかもしれない「未来」より優先するのは「今」なのです。弱さや不満も含めて「今」を肯定できるようになったことが14歳になったリカの成長でした。

 それが特別編での決断にどう繋がるんだとなかなか本題に踏み込めていませんが、そのための鍵はリカの価値観です。彼女は「今」をより良いものにするには代償を支払わなければならないという、なかなかシビアな価値観を持っています。



 何かを得るには対価が求められる。その象徴が「お金」という概念です。「お金」は「価値」を数値化し、あらゆるものを得るための「対価」となります。

 事実、リカの価値観の裏打ちとなるように、彼女のエピソードには「お金」が付きまといます。

「それよりさ、私お財布忘れちゃったの。悪いけど貸してもらえないかな」
「お金持ちの金ヅルだって、信用してたのにさ。ある日、街で万引きしてるの見つけた。あはは。それを換金してたのよ」
「美人はお財布持つ必要ないって……その……優しい声しか覚えてない……」
「ママが一つだけ正しいことを教えてくれた。女に金を要求する男は……、全部偽物だって」
「考えてみたらあのガチャ1回500円だもんな。命がそんな安いわけないか」

 母子家庭の厳しい金銭事情やアイドルとして自ら稼いでいた経験もあるのでしょうが、リカにとって「お金」は優先度の高い概念で、それ故に「価値」と「対価」についての考え方にもある程度の安定感があります。自分を傷つけても生きるという宣言も、生きるためなら傷つくことは対価となりうるという価値観に基づいているのです。



 つまり特別編におけるリカは「今」を「生きる」うえでねいるを救うことの「価値」は自らの命、あるいは傷つくことを「対価」とするほどではないと判断しています。どれほど精巧でも機械の「反応」は人間の「心」に及ばない。それがリカの価値観でした。

 ここで、そもそもリカの目的はねいる以上に万年の復讐だったはずという命題が浮かび上がりますが、これはリカの失望がねいるの正体以上にワンダーエッグの世界そのものに向いていたと考えることで説明できます。

 リカは「生きること」をプライオリティとするが故に、相手がミテミヌフリやワンダーキラーであれ誰かの「生」を奪うことにも乗り気なわけではありません。

 それでも戦っていた理由は、リカ初登場の3話で表現されています。

「こんなの」
「こんなの、ちえみじゃない!」
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「あのちえみにもう一度会えるなら……私は何人だってぶっ殺す」

 リカはちえみへの思いから、殺すことが対価になりうると判断していました。

 しかし、殺すことや傷つくことの果てに彼女が得たのは万年の死、そして会いたかった「あのちえみ」とは異なるちえみです。彼女はこの時点で「エッグの世界で戦うことに対価ほどの価値は無いのでは」という疑念を抱いています。それを決定的にしたのがねいるの正体でした。

 万年を殺したドットへの怒りや、復讐してやりたいという憎しみが消えたわけではありません。しかし、復讐しても万年は生き返らない。パニックが生き返るとしても戦わないであろう桃恵と異なり、リカは価値があると思えば戦うでしょうが、もはやエッグの世界にプライオリティとなりうるだけの何かは見出せなかったのです。



 リカのプライオリティは、彼女の価値観に基づき適正な対価を支払いながら今を生きることでした。価値と対価。人間は過去でも未来でもなく今しか生きられない。かなり普遍的な事実です。

 ビターな展開の中で描かれたために、ただ鑑賞しただけでは彼女のプライオリティを肯定的に受け止めにくいですが、作品と「対峙」できればそれが可能となります。リカに肯定されることによって、あるいはリカを肯定することによって、ビターな現実と折り合いをつけられる瞬間が訪れる。フィクションで現実の辛さを描く必要があるのかという問いはフィクションを娯楽として扱う上で誠実ですが、現実を浮き彫りにすることで感性をかち割り、新たな価値観すら芽生えさせてしまうことに物語の真の力があります。僕はそれを享受できることに至福を感じるし、だからこそ『ワンダーエッグ・プライオリティ』は素晴らしい作品であったと思います。



 ということでリカのプライオリティに関して書きたいことは書き終えましたが、最後にリカの退場シーンについて。

 冒頭に書いた通り、リカは死んでやると言ってエッグの世界やアイたちと決別します。より詳細にはこのような場面でした。

「私も死んでやる……」
「リカ……」
「死んでやる……死んでやる……会いたい……万年に……ちえみに……会いたい……もう一度……会いたいよ……」
「うん……うん……」

 仮に7話を見ていなかったら本当に死ぬんじゃないかと不安になってしまうような場面でリカは物語から去っていきます。

 もちろんそのために7話が描かれたわけで、特別編のこのシーンは7話で父親に会いたいと語るシーンのリフレインです。父への思いを乗り越えて母を見据えられたように、万年やちえみという過去を越え、今というプライオリティを握りしめられることを示唆しています。

 カッターで腕を切るかわりに言葉のナイフで自分を傷つけることが、叶わない願いを口にすることで胸を締めつけることが、大事なものを失わずに今を生きるための代償。

 願わくばリカが今彼女の周りにいる人たちと幸せに生きられたら、あるいは桃恵を演じた矢野妃菜喜さんがツイートしたように、桃恵とだけでもまたカラオケに行くような日が訪れたら、そんなことを祈っています。

 代償を支払うことは、悲惨なだけではないと信じて。




 それでは今回はこれで本当に終わりです。お付き合いくださったみなさま、ありがとうございました。

 アイやねいるについても書く予定……特にアイについては携帯ぶん投げシーンのことを書かなければと思っているので、またお会いすることがあればよろしくお願いします。

 ひとまず僕は先生(not沢木)(not2話のアレ)の腕に抱かれて宇宙とイカリングします。

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