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平成元年生まれだけどもうすぐ25歳になるから四半世紀をふり返ってみようと思う

どうも、平成元年生まれです。今はJ-POP20代ナツメロ集を聴きながらnote書いてます。とりあえず一曲貼っておきますね。

「天体観測」/BUMP OF CHICKEN

最近ふとtwitterに流れてきたリンクからこのブログ<平成元年生まれが過ごした2002年の文化圏(当時中1)>に辿り着き、平成元年生まれの人たちが過去をふり返りつつ今の自分を語っている文章をいくつか読んだのです。

思えば自分は今年で25歳。生まれてから2回くらい地球に滅亡の危機があったけど、何とか生きてこれた。生存おめでとう!色んな意味で生きている喜びを噛みしめつつ、少しばかりこの平成という時代を人生と共に振り返りたいと思います。ただの自分語りになる可能性大ですが、特に同世代に読んでもらえたら嬉しいな。


というわけで誕生は1989年。この年に生まれた有名人は香川真司、錦織圭、道重さゆみ、ダニエル・ラドクリフ等々。ゲームボーイが発売されたのもこの年。曲はプリプリのDiamondsや長渕剛のとんぼが流行った。翌年にバブルが崩壊して大人たちは大変だったみたいだけど、実感としてはよく分からない。物心ついた時には「じゃじゃ丸・ぴっころ・ぽ~ろり」が日常にあった。

幼稚園の頃はSMAPが流行り出してた。友達の家でやらせてもらったスーパーファミコンが羨ましすぎたので、親にねだって買ってもらった。ゲームボーイも家にあったし、ポケモンの新シリーズが出るたびにゲームボーイもポケット→カラー→アドバンスと進化していった。気付けばゲームと共に成長していた。

6歳の時に1回目の大震災を経験した。僕は当時関東に住んでたけど、なんだかとてもマズイことが起きているのは分かった。ただその程度の認識で、テレビが震災報道だらけになって面白くなかった。エア被災という言葉を知るのはこの15年後である。大阪に住んでいたばあちゃんに電話したけら、大阪は大丈夫そうだった。同じ年にサリン事件もあったが、やはり「何だかヤバそう」程度だった。

小学校ではワンピースや遊戯王が流行っていた。遊戯王カードを学校に持ってくるのは禁止だったけど、隠れて遊んでた。オカンがコロコロコミックと間違えてコミックボンボンを買ってきた。「サイボーグクロちゃん」が面白かった。曲は安室奈美恵やブラピポケビが人気で、運動会なんかでよく使われた。TVを見ておかないと友達との会話についていけなかった。マジカルバナナ

10歳になった1999年、ノストラダムスの予言で地球が滅ぶと言われた。もう人生終わりかと思った。アンビリーバボーでオカルトを学んだ。

12歳の時、「タモリのジャングルクッキング」を見てたらTVが急に高層ビルの映像に切り替わり、飛行機が突っ込むところを見た。人生で初めて「テロ」という言葉を知った。テロに関する授業を聞いたり作文を書いたりした。ちなみにこの年は付属池田小学校の無差別殺傷事件もあった。サリンや酒鬼薔薇事件以来、血の臭いの絶えない世の中であった。

中学生だった2002年~2005年。いわゆるケータイを持っている子もチラホラ出始め、インターネットも普通に使うようになってきた。情報の時間にFLASH動画を見て遊んだ。グロ画像を見せてくる子もいたし、「赤い部屋」等のホラーゲームの話をするヤツもいた。スパムに引っかかったこともあったし、料金等が発生するorしないの仕組みもよく分からない。インターネットは僕にとって相当なブラックボックスで、何が安全で何が危険なのかの判断がつかなかった。とにかくダイアルアップ接続が遅かった。

音楽は皆と同じようにBUMP OF CHICKENが神だった。洋楽を聴いてる子もいたけど、ミスチルやケミストリー、RIP SLYMEなんかを僕はよく聴いた。(ちなみに僕は2002年から「Skoop On Somebody」にハマったけど、全く誰とも話題が共有できなかったのでバンプに入っていった人です。)

2005年~2008年は高校時代。日曜の朝にたまたま見た「交響詩篇エウレカセブン」にドハマリしたことを高校1年生のクラスの隣の席の子に話したら知ってて、仲良くなった。まだ少し深夜アニメは敬遠していたので、ハルヒの動画を見ても「う~ん」と思ってた。高校ではiPodを持ってる人が現れ始めた。僕はTSUTAYAでCDを借りてきては律儀にMDに入れてたので(自分のMDが家に300枚くらいあった)、少し羨ましかった。クラスの皆がケータイを持ってたので、友達とのコミュニケーションがケータイを軸にして行われるようになった。好きな子にアドレスを聞く時はドキドキした。着うたが流行ってた。高3の時から受験生活ブログを書き始めて、学校の同学年の半分くらいが読むようになった。初めて配信することの楽しさを知った。

大学に入ったあたりから毎年首相が変わるようになった。首相に庶民の食べ物の値段を聞いて「庶民感覚がない!」とか言う流れを国会でやっていたが、正直どうでもよかった。政治は自分の生活の向こう側にあり、首相が変わっても日本は同じであり続けると思っていた。平和だった。

大学2年生の時にiPhone3GSを手に入れた。先輩に「それってどうなん?」と言われて「世の中が変わりますよ」と答えた。

翌年、2回目の大震災に合った。就活を始めるタイミングで平和が崩れていくのを見た。これから飛び出していくはずの社会が、ひどく先の見えないものに思えた。就活してる場合なのかどうか迷った。

この時期に僕はtwitterとかfacebookに出会って、ネットを通じた情報収集と発信に目覚めた。政治も有名人も被災地も、全てが身近にある気がした。僕にとってtwitterとfacebookはアウトプットの場で、そして未だ会ったことの無い人と交流する場になった。

社会として何が解決して何が解決していないのか分からないけど、僕はとりあえず就職して働き出した。今年で3年目になった。色んなことがあったけど(マヤ文明の予言でまた地球が滅びかけたし)、日本はワールドカップで負けてもハイタッチで騒ぎまわれるレベルでは平和だ。女性の社会進出を叫ぶ政治家に「お前が結婚しろ」とヤジれるくらいに。


この25年で世界を含め日本は激動の時代を過ごしてきた。各家庭の玄関に一つだけあった電話はそれぞれのポケットの中にまで進出し、新聞は手のひらサイズのタブレットに吸い込まれた。笑っていいともが終わって、オリコンランキングは見るに絶えない状況になった。twitterとfacebookとLINEが日常のインフラになった(この点こそが25年前の人間に言っても一番信じてもらえない部分のような気がする)。

最近すごく思うのは「きっとまた25年経ったら世の中が有り得ないぐらい変わっているんだろうな」ということ。自分の考え方が古いものになって、デジタルネイティブ達が新しい価値観を作っていくわけですな。しかし一方で「あれ、でも世の中が有り得ないくらい変わるとしても、その担い手って自分たちの世代なんじゃないの」と思ったりもしていて、あと25年で自分に何ができるのか悩んだりもしてます。

自分の関心に引きつけて言うと、この25年(どころか100年規模)で「学校」の在り方がほとんど変わってないんですよね。未だに黒板とチョークで集合授業とかやっているんだけど、きっとここは抜本的に変わる必要があるし「求められる人材像の変化」に基づいて実際に教育の形態が変わろうとしている。その中で25年後に向けて新しい教育を実践できたらいいな、というのが今一番やりたいことです。

まだまだ他にもあるんじゃないか、25年前から全然変わってないけどホントは変わった方がいいところ。そういう部分にこそこれからの時代を作っていく鍵があって、平成元年生まれが主軸としてやっていける部分なんだろうな。何かと注目されない平成元年生まれ世代だけど、ぼくは頑張ろうと思ってます。その時に同期で面白いことやってる人とかチャレンジしてる人が身近にいたら、相乗効果でもっと面白くなりそうだなぁと思うので、まずはこの「平成元年生まれの自分語り」が連鎖していったら良いな。

明後日で25歳。

50歳になってまた振り返る時まで、突っ走っていきたい。

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