何もかもが初めてだった2019年の仕事をそっと振り返ることにする

◯2019年4月、転職しました

転職ってもっと大変なものだと思っていたのだけど、僕にとって2回目の転職は(自分でもびっくりするくらい)あっという間に終わった。最終面接の東京に向かう新幹線の中では流石にドキドキしたけど、終わったら東京の友達と合流して豊洲でバカでかい海鮮丼を食べてチームラボプラネッツで遊んでラーメン食べて帰ったから楽しい思い出しかない。

聞けば僕は教室の責任者になるのだという。勿論そういう採用枠で申し込んだから知らなかったわけじゃないけど、内心は結構驚いていた。「いいの?転職3社目だよ?前職小さい塾だよ?一次面接と最終面接しか受けていないよ?」自分にというより、自分を責任者に任命する上司の判断に驚いた。後から上司に聞いたら「実際佐藤くんが一番心配だったんだよね」と言われたので、お互いドキドキしていたのだと思うと笑えてくる。

(これ以下の画像はハネムーンで撮った写真を適当に載せます)

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◯完全に未知の教室立ち上げ

僕が教室長を務めることになったのはいわゆる「フリースクール」だけど、わりとカリキュラムもプログラムもしっかりあって、みんなmacbookを持ってて、どっちかというと「最先端の学校」のような場所だった。何校か同時に立ち上げだったので自分以外にも新入職メンバーがいる安心感はあったけど、僕の所属校は自分ともう1人の先生だけ。他はみんな東京。あぁこれは「腹括る案件だな」となんとなく思ったのを覚えている。

そういう時に僕はどうなるかというと、「右向け右で足並み揃えてやっていく」よりも「とりあえずやってみて上手くいったら続ける」方針になる。というか、「なるのだな」ということがこの1年で分かった。腹を括った結果、僕は未知の教室運営に対して体当たりで色々実践することにし、成功したものは他の校に共有した。

ここですんなり「共有しよう」という意識になれた自分を振り返ってちょっと驚いているんだけど、単に東京のメンバーに自慢したかっただけだと思う。結果としてノウハウ共有になったのだし、みんな「もっと見て見て!」って意識で自慢し合えばいいのだ。

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◯個性的な生徒たちへ「自由」を提供するために

僕が教室長として預かった生徒は、最初は普通の1学級くらいの人数だったけど最終的にはその3倍くらいに膨らんでいた(広報担当は別にいる、本当にありがたい)。フリースクールに来る生徒だから云々…のような色眼鏡で見ていたわけじゃないけど、それでも個性やこだわりの強い生徒たちだと思った。でも、おかげでその集団を「まとめる」という発想は早い段階で捨てることができたと思う。

単純に言えば「生徒たちの『自由』を作る人」になろうとした、これに尽きる。授業を受けるのも休み時間も出席欠席も、自分の判断でやることを考えていい。ただ「絶対に誰かを困らせたらダメ、先生も困らせたらダメ。先生が困った時は言うからね」と。これを皆が守れるなら、それぞれが自由に過ごせる空間が作れる。そういう信念のようなものを持って動いた。自由の相互承認の発想とも近いと思う。

だから僕の主な仕事の1つは、それぞれが自由に過ごす中で「困りごとの原因になる行動や発言」に対して丁寧に説明していくことだった。逆に「これは結局本人しか困らないな」という内容については特に注意しなかったので、もしかしたら冷たい先生だなと思われたかもしれない。でも本気で僕にとっては「勉強の時間にコソコソYouTubeを見ていること」はどうでもよかった、それが誰かに悪影響を及ぼさない限りは。

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◯個性的な生徒の中で個性的な先生であり続ける

これは自分の得意分野でもあったのだけど、自分は先生然としていることをとにかく避けた。何故なら子どもたちの中には勝手な「先生とはこういうもの」「こういう時にこういうことを言うもの」というステレオタイプが出来上がっていて、その内なる先生像によって自分自身を縛り付けていることがあるからだ。

だから僕は休み時間に生徒とスマブラをして遊んだし、ホラー好きな女の子にオススメB級ホラー(R-15作品含む)を語ったし、今月の目標が「平和に生きる」だった生徒を全力で応援した。一般的な先生の逆張りをしたというよりは、単にあるがままの自分で接しただけなのかもしれない。

先生として「まとめる」ことを放棄している以上、生徒たちが「まとまる」ことを考えないといけない。その時に必要なのは教室の長が絶対的な権力者になるのではなく、生徒と共に過ごしつつ教室の思いを代弁する存在になることだ。だから全体に注意をする場は全くなかったけど、「皆と一緒にこんな教室にしていきたい」という話は何度もしていた。長としてではなく「佐藤」として話をしていた。

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◯ぬるっと終わった悲しみ

別に1年の期限付きで働いていたわけではないけど、2020年の4月からは校の責任者を降りて授業の制作や他の校の巡回をすることになっていた。だから年が明けたあたりから何とも言えない悲しみを感じていたんだけど、新型コロナのことがあってそもそも2月末からオンライン授業になってしまった。しかもオンライン授業に切り替わったのは僕の「ハネムーン休暇」の真っ最中。唐突に生徒に会えなくなってしまった。

最後の授業はオンラインだったので、少しだけ自分の思いを語ることができた。自分がいなくなっても何も変わらない、新しい教室を作るのは先生じゃなくて生徒たちだ、そんな話をした気がする。こういう話をする時は話したいことの目次だけを決めて挑むようにしているので、細かいことは覚えていない。

とにかく自分の帝国だけは作りたくない、いつでも誰かに引き継げるようにするぞ、と思いながら働いていたわりには、ひっそりと切なく泣きそうになってしまった。

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◯教育に成功も失敗もないと思う

そんなもの誰が判断できるんだろう。めちゃくちゃ酷い評判の先生でも1人の生徒の人生観をガラリと変えてしまうかもしれない。皆に愛されている先生は同窓会で誰も思い出さないかもしれない。だから、そういうことは対して重要じゃないのだと思う。子どもたちは大人になるまでに沢山の大人と知り合うわけで、あくまで自分はその1人だ、ということでしかない。

この1年で自分が得たものは凄く多かったし、保護者の方と話す中で気づいたことも沢山あった。保護者会で模擬授業をしたのも面白かったなぁ。仕事として自分に課せられていた目標については評価が伴うので、それはそれ良いけど、それを達成したかどうかではない「振り返り」をしてみたかった、というのがこの記事を書いた理由なのかもしれない。

結局オンライン授業になってまたバタバタしているし何なら去年の今頃よりも全然忙しいのだけど、それも楽しめているからいいや。

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