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「君の名は。」とは。

早速観てきました、「君の名は。」

1954年のやつではないですよ。

若手のアニメーション映画監督の中では知る人ぞ知る超実力派、「新海誠」監督の最新作です。


新海誠監督作品といえば、作画が美しすぎて中国でインスパイアをリスペクトしたパロディのオマージュ作品が作られた「秒速5センチメートル」が有名です。惹かれ合う、会いそうで会えない少年と少女。その余りにも哀しくて切ない二人の運命、リアリティ溢れる情景描写、そしてその情景描写が語る主人公たちの心情が痛いほどに観客の胸を打ち、泣けるアニメ映画として必ず取り上げられる作品となりました。ご多分に漏れず、ぼくも周囲が引くくらい泣きました。

しかし一方で、そのラストの展開には一部で満足いかない観客がいたのも確かで。「君の名は。」の公式パンフレットにおいて、新海監督は以下のように語ります。

新海「その前に『秒速5センチメートル』という作品を作って、ある程度の評価や支持をいただいたんですが、自分の思いとはずいぶん違う伝わり方になってしまったという感覚があったんです」

その後の作品「星を追う子ども」では大衆に受け入れられやすい絵柄としてジブリ作品を意識したデザインを行うも、単なるジブリのパクリという印象が目立ち正しく評価されずに流れてしまいました。ぼくはやっぱり嗚咽を漏らして泣きました。

そしてその次に公開された「言の葉の庭」では雨の新宿御苑を舞台に交流する男女をテーマに据え、「やっぱり新海誠スゲェ!」の名声を取り戻しました。特に注目されたのはその作画。雨の東京を描いたシーンでは現実を超えているのではないかと思わせるほどの美しさを見せつけ、思わず雨の日に出かけたくなるような自然美をアニメーションを通して表現してみせたのでした。秦基博のカバーした、大江千里の「rain」も最高でしたね。ラストにあの曲を聴くためだけに作られた映画なんじゃないかと思えるくらい。ぼくは映画を観たあとも、rainを聴くたびに泣きました。


いやぁ良いですね新海作品。む、はやく本題に入れ??

ちょっと黙っててもらえますか。ちゃんと話すから。


また公式パンフレットから引用しますが、本作「君の名は。」を制作したきっかけについて、新海監督はこう語っています。

新海「次こそはもっと言いたいことをストレートに語れるんじゃないか、伝えられるんじゃないかと思えてきたのが、『君の名は。』を作り始めたタイミングだったんです。」


こうした経緯の中で公開された「君の名は。」ですが、予告編を見てビックリしました。なになに、男女が入れ替わる?男子高校生が現役JKの身体に入っちゃってどうしよう?でもなんか気になるから会いたい?キミのぜんぜんぜんせがぜんぜんせ?新海誠どないしたんや、と。そういう不安を持ちながら劇場に入りましたが、実際は開始5分で監督にジャンピング土下座したくなりました。


ポイント1 まず「オープニング映像がある」

開始直後、RADWIMPSの「夢幻籠」をバックに通常の30分アニメのようなOP映像が流れるんですけど、これまでの新海作品やその他のアニメ映画を観てきている人は驚くでしょう。普通テレビシリーズの映画化でもない限り、そんなことはしない。

ですがあのOPがあることで、①本作がこれまでのポエム感溢れる新海ワールドとは別ものであり、②RADWIMPSの楽曲がフィーチャーされた作品であり、③テレビ版アニメを見慣れた層にも向けた内容であることが一気に伝わるわけです。「これは本気や・・・」。ぼくはもう前のめりになっていました。


ポイント2 神木隆之介・上白石萌音の「声優」としての素晴らしさ

身体が入れ替わってしまう男女二人を演じる神木隆之介・上白石萌音の演技が、紛れもなく本作の見どころの一部。少年(瀧)の身体に少女(三葉)が入っている時は勿論神木ボイスが女の子の喋り方をするわけですが、いわゆる深夜アニメのような声ではなくドラマで演技をしている時のような話し方をするので、自然と聞けてしまう。アニメ声優に現役の俳優を起用することに関しては色々論争があったりするのですが、そのへんはまぁ以下の通り。

入れ替わりがテーマの本作では例えば「三葉(心も三葉)」と「三葉(心は瀧)」を演じ分ける必要があるわけですが、ワザとらしくないレベルできっちりとその差を演じ分ける若い才能も、注目して見るべしです。(上白石萌音ちゃんは、「ちはやふる」でブレイクしたあのコです)


ポイント3 中盤以降の展開で一気に新海ワールドへ

予告編でたっぷり見られる「おれがあいつで、あいつがおれで」みたいな30~40年前のアイドル映画的なテーマは、実は釣りです。ネタバレかもしれませんが、ハッキリ申し上げましょう。釣りです。

ほのぼのした高校生ラブストーリーだった序盤を過ぎ、中盤以降。入れ替わりの謎を解き明かす展開から一気に、従来の新海ワールドが持っていた「出会いたいのに出会えない男女」というテーマが観る者の心を貫きます。それもほとんど絶望です。今までの作品(例えば「秒速~」)なら「いや、会いに行けよ」で済んだところが

これ無理なやつやん。

くらいの絶望になります。もう名前どころじゃない。っていうか序盤にお互いの名前を知るんですけどね。もう名前知ってるやん。

この中盤以降の展開は何を語ってもネタバレになるので言えませんが、この圧倒的な絶望において二人をムスビつけるものは何なのか。惹かれ合う男女の、お互いの名前を覚えていなくなっても繋がろうとする意思が、どのように結実するのか。これが本作の最大のテーマになります。特に今までの新海作品を見てきた方は救われること間違いなしなので、「なんか新海誠って重い話多いからイヤ」と思ってるアナタに間違いなく観ていただきたい作品となっております。


ポイント4 RADWIMPSにも土下座したくなる

もうね、色んな人に土下座ですよ。この10年間何を歌っても「バンプのパクリ」とyoutubeのコメント欄を荒らされる様式美でもって活動していたRADWIMPSですが、正直「君の名は。」においてはRADWIMPSの音楽なしでは絶対に成り立たないとすら思わせる素晴らしさを感じられます。いや、もしかしたらこの映画そのものがRADWIMPSの壮大なプロモーションビデオなんじゃないか。それくらい、象徴的な場面のたびに象徴的な音楽が使われています。(最初の方で「ぜんぜんぜんせがぜんぜんせ」とかネタにしてごめんなさい。脳内でずっとリフレインしています)

何より素晴らしいのは、RADWIMPSのボーカル「野田洋次郎」の声が非常にスクリーン映えすること。「君の名は。」では一瞬無音になる場面がいくつかあるのですが、その無音の中ただ野田洋次郎の声だけが響くと二人の主人公の心情が胸になだれ込んでくるような感覚が得られるんですね。これがクセになり、劇場を出た後も忘れられない。

例え声優であってもバンドのボーカルであっても、「声を使った表現者」であることに変わりはないんですよね。そういう意味で、野田洋次郎は「君の名は。」における単なるテーマソング担当ではなくアクターであったと言っていいように思っています。RAD最高やで!(でも前前前世のコメント欄はあまり見ない方がいい)


総括 「君の名は。」とは。


監督の言葉通り、本作はこれまでの作品に比べてより「伝える」ことを念頭においた作品であることがよく分かるものでした。こうした「表現」と「受容」のせめぎ合いは常に起こるものであります。新海監督がそのせめぎ合いに折れたと表現するのが正しいのか、表現の段階が上がったと捉えるのが正しいのか、それは定かではありません。だけどこれだけは言える。

これだ、このラストが見たかったんだよ。と。

絶望的な距離を抱えた二人が奇跡のようにたぐり合い、結ばれてほつれて離れて。そしてそんなことも夢か現(うつつ)か分からず、それでも尚「ずっとなにかを、誰かを、探している」。その探してもがく過程が実は最も美しく心を打つのだ、ということはもう「秒速5センチメートル」でよく分かっているんですよね。

いつでも君をずっと探している、その純粋でまっすぐな気持ちは言うまでも美しい。でも切なすぎるんです。

だからこそ、あのラスト。ラストはやっぱりボロボロ泣きました。でも気持ちの良い涙でした。

現アニメーション作品の中で最高峰の映像美、若い二人の才能、野田洋次郎とスクリーンの化学反応、そして新海誠の辿り着いた結論。どれを取っても文句のつけようがない。だから素晴らしい。

所詮アニメ映画でしょって人は特に見てほしい。日本人が大好きなジブリでも萌えアニメでもない、世界に誇れる一つの完成形が見られるはず。

早く日本国民全員が鑑賞完了することを切に願います。

(シン・ゴジラもいいよ)


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