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日月神示に記されている戦慄とは・・・。

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《訳》磐戸の巻~第7帖  

人民のイクサや天災ばかりで、今度の岩戸ひらくと思っていたら大きな間違いだぞ、戦いくさや天災で埒ラチあくようなチョロコイことでないぞ、
あいた口ふさがらんことになって来るのだから、早うミタマ磨いて恐いもの無いようになっておってくれよ、肉体の恐さではないぞ、タマの恐さだぞ、
タマの戦いくさや禍わざわいは見当取れまいがな、真通理まつ(祀り) 第一と申すのだ、神のミコトに聞けよ、それにはどうしてもミタマ磨いて神かかれるようにならねばならんのだ。神かかりと申しても そこらにござる天てん狗ぐやキツネやタヌキつきではないぞ。まことの神かかりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎とがめるでないぞ。世界のことは皆、己の心に映って心だけのことよりできんのだぞ、この道理わかったか、この道はマナカ(真中)行く道とくどく申してあること忘れるなよ、今までのような宗教や教えの集団つどいは潰つぶれてしまうぞ、神が潰すのではないぞ、自分で潰れるのだぞ、早うこの神示ふで、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチだぞ。今度の岩戸ひらきの大望たいもう済んだとて、すぐに良いことばかりはないのだぞ、二度とないことであるから臣民しんみんでは見当取れんから、肚はらの底から改心して、
素直に、神の申す通りにするのが何より結構なことだぞ。

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■感想■
岩戸は、物理的なもので開くのではなく魂の力で開くようです。また魂の「わざわい」は見当つかないぐらい怖いもののようですね。右寄りの人、左寄りの人それぞれの心が正しいと思っていることしか出来ないのだから責めてはならないということで。、ただし自分は真中(中道)を行くのが正しい道ということを忘れてはならないということのようです。
三次元の人間レベルの段階で、到底乗り越える結末が不可能な禍(大峠が、刻一刻と押し寄せている戦慄の未来が待ち受けているからこそ、「身霊を磨きを行い、神を感応できる段階まで己を高めよ」というメッセージに受け取れますね。

※あくまでも、わたし個人の主観によるものです。その他、たくさんありますので代表的な書にて。



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