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私とおばあちゃんの話

おばあちゃんの話をしたい。
私の大好きなおばあちゃんの話。もういないおばあちゃんの話。

うちは父が会社をやっていて、その隣に父方のおばあちゃんの家があった。
私の家も近かったから、頻繁におばあちゃんと会う機会があったし、おばあちゃんもすごく可愛がってくれて、小さい頃から大好きだった。
遊びに行ったり、買い物に行ったり、母に怒られて泣きながら行ったり。
いつだっておばあちゃんは優しくて、怒ったことなんてなくて、どんな時だって私の味方になってくれて。
たくさんもらってばかりで、何も返せてなくて。
だから、大きくなって、自分を誇れるようになって、はやくおばあちゃん孝行できるように、私の孫すごいんだよって、私が孫で良かったって、思ってもらえるようになりたいなって。思って、思ってたんだ。

いつか必ず、別れの時は訪れる。
理解はしていた。それが遠くない未来だということもわかっていた。

わかっていたけど。

コロナが流行り出して1年近く経った頃、一人暮らしをしてたおばあちゃんが体調を崩してるみたいだから様子を見てきて欲しいって言われて、急いでおばあちゃんちに行って、飼ってる犬の世話とおばあちゃんの世話をして、また来るからって帰って。
そしたら次の日お父さんがおばあちゃんが救急車で運ばれたって、コロナだって、聞いて。
叔母さんや他の人もおばあちゃんちに行ってたけど、頻繁に行ってたの私だし、もしかして私が無症状で罹ってて、知らないうちにうつしちゃったのかもって、どうしようって。
私のせいかもしれない。私のせいでおばあちゃん死んじゃうのかもしれないって思ったら、つらくて、悲しくて、苦しくて。

当然ながら病院は面会できなくて、リモートの映像で病室で横になったおばあちゃんが見れるだけで。
自宅待機の間ずっとおばあちゃんが早く戻ってくることばかり考えて。
私の命だってあげたっていいから、だから、誰でもいいからおばあちゃんを助けてって、ずっと祈るしかできなくて。
でも、祈っても願ってもダメで、ある朝お母さんが泣きながら「おばあちゃん死んじゃうって……」って起こしにきて。
何言ってるんだろうって、私が早く起きないからそんな嘘言って早く起こそうとしてるのかなって、そんな不謹慎な嘘よくないよって、怒ろうって下に降りて行ったら、スマホの画面に病室のおばあちゃんとリモートで繋がってる叔母さんと叔父さんが映ってて、「ほら、ちゃんと生きてるじゃないか」って文句を言おうとしたら看護婦さんが「もうすぐ呼吸が止まりますね」って。
何言ってるかわからなくて、お母さんが「なにか声をかけてあげな」って泣きながら言っててもよくわからなくて、ただ緩やかに死に向かうおばあちゃんを見ることしかできなくて。
映像だから、なおさら実感がなくて、壮大なドッキリなんじゃないかって、いまもどこかで生きてるんじゃないかって。おばあちゃんちに行ったら、あの優しい笑顔でひょっこり出てきて「あら、きてくれたの」って嬉しそうに言ってくれるんだって。もうあの優しい声が私を呼ぶことも、大好きな笑顔を見ることも出来ないなんて、信じられなくて。

数日後、指定された場所に行って棺の中でビニール袋に包まれたおばあちゃんを見ても、寝てるだけみたいな顔してて、死んでるなんて思えなくて。
なんでって、どうしてって、もっと生きられたはずじゃんって、元気だったじゃんって。
わたし、まだなにもできてないのに。なんで死んじゃうの? って。

顔見たら涙が止まらなくて、情けないくらい次から次へとぼろぼろ溢れてきて、離れなくないのに、コロナだからお葬式も一部やらない部分があったりして、お葬式も本当に限られた少ない人数しか呼べなくて。更に、田舎だから噂になるからってコロナで亡くなったことも言えなくて。ほぼ家族親戚でおばあちゃんと仲良くしてたお友達とかも呼んでなくて。
きちんとお葬式すらしてあげられないんだって、ゆっくりと別れを惜しむ時間すらないんだって、頭ではわかっているけど、辛くて悲しくて。

骨になってすら実感がなくて。

でも、生前おばあちゃんは記憶力が落ちたことをすごく悩んでて、私のことも名前が出てこない時があって、「つらい、早く死んじゃいたい」ってよく言ってて。
私はその度に嫌だって、そんなこと言わないでよって言ってたけど、おばあちゃんにとっては早く終われて良かったのかなって考えたりして。絶対に答えは出ない問いだってわかってるけど、ずっと、ずっと考えてて。

でも、わたしは、もっと生きてて欲しかった。もっと色んなものを、貰った以上に返したかった。もっと一緒にいたかった。花嫁姿も見たいって言ってたの、見せてあげたかった。なんだって叶えてあげたかった。

たくさんの後悔ばかりが今も私の中に積もっていって、これからもこうして思い出してはまたひとつと積み重ねていくんだろうな。
私ね、おばあちゃんが死んじゃったら、私も死ぬって思うくらいおばあちゃんのこと好きだったんだ。

今年は年が明けてすぐおじいちゃんも亡くなって、こうして大切な人をどんどん失って、きっと何度もこうして見送るんだろうなって思うと、嫌になるし、見送るくらいなら私が真っ先に死んでやる!!!!!!!!っていう気持ちになるんだけど、死ぬ死ぬ詐欺し続けてきているからきっとダラダラ生きているだろう。悲しいけれど、私はまだ見送られる側ではなくこれからたくさん見送る側なんだ。

おばあちゃん、私が音楽してるのすごく喜んでくれたし、歌が好きでよく歌ってて、だから、音楽を続けようって思って。

わたし、ずっと歌ってたら、いつかおばあちゃんにこの歌は届くかな。頑張ってたら、天国で孫自慢してくれるかな。うちの孫はすごいんだよって。

いつか、私が死んで、また逢えたら、褒めてくれるかな。頑張ったねって、聴いてたよって、良かったよって。

そうだといいな。
私がいつか、そっちにいくその日まで。
どうか、どうかダメな孫を見守っていてね。


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