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できない自分を茶化して生きてない?

こどもと過ごすなかで教えてくれるメッセージがある。

できないとわかった途端に茶化してやらないこと

そんな経験ないですか?

うちの子たちにいろんな経験をして欲しいから入れそうなクラスに入れているんだけど、子どもだけで「はい、どーぞ!」ではなく親が同じ場所で見守っている。見守ると言ってもその場所にいればいいんだけど、だからどの家庭を色々で。スマホ見てる人もいれば、電話で話してる人もいたり、子供を真剣に見てる人もいたり、撮影してる人やただ見てる人もいたり。ワタシももれなく「子供と離れられる時間」みたいに思って、それを自分の時間みたいに思ってたひとりなんだけど😆

そんな時間も意味があると気づいた。
特にお嬢はもう5歳で理解する力を持ってるじゃない。雰囲気も見てわかるし周りが言ってることとかどんな人たちが周りにいるとか。小さい時は理解が乏しいから周りが戯れてたら戯れるし、遊んでたら遊ぶ、Having fun!みたいなのはもちろんあったの。でも今はその辺もわかってると思うの。

You come here for practice!
ここには上手になるために練習に来てる!

って何度も言ってるのワタシ。

大体のことは初めてじゃない。スタートラインに立った瞬間からできることなんてまぁないじゃない。とりあえず理想と現実を味わうのが初日。けど、終わる頃にはそれなりにできるようになっとる

特にアイススケート。
ほんとに滑れなかったし歩けなかった。いっつもレッスンは置いてけぼりでコーチに連行されてゆくという感じ。でも最終日に遅れながらも連行されずについて行ってるじゃないか!アンビリバボーでしょ!

でね、考えてみたらさ、お嬢はレッスンが終わったらフリースペースでいつも練習したい人。でもさ、そこにはスイスイ上手に滑る人が楽しいから残ってるのね。滑れなかった人はレッスンが終わったら結構さっと帰ってしまうパターン。
スイスイ滑ってる人たちの中をトボトボ氷上を何度も歩きながら行ったり来たりして転けたら立ち上がりワタシのとこまできたら「できた!」って喜んでまた行くの繰り返し。滑れてないがな😂
周りがすごいできててなんかできないって恥ずかしくないかなぁ?嫌にならないのかなぁ?ってその様子見ながら思うこともあったりで。だけど気づいたのは「周りがすごい上手でも自分ができないからと自分を茶化してない生きてない」ってこと。

大きくなっていくとさ、できないこと=恥ずかしいことみたいに捉えて、笑われる。とか、いい大人が恥ずい。とか勝手に理由が思いついて、斜に構えて、挑戦すらしなかったり、できなーい!って途中で笑って誤魔化したりしてやめてしまう。本気でやりたくないならまだしもよ。ちょっとやっただけではわからないのにできないっぽいとわかったら途中で諦めて茶化してしまわん?ワタシ、心当たりあるよ。アイススケートがまさにそうやん。全然滑られへんわけよ。お嬢の初日ばりにすってんころりんする自信あるし、なんかそういうのとか勝手に想像するからやらない。一度コーチが事故渋滞に巻き込まれて来れなかった時にフリースケートデーで家族も滑れる日があったんだけど、率先して旦那にスケート靴を託したのはワタシです。けど滑れたらやるわけよ。滑れたらやるって滑るためにはどうするの?練習でしょ?そういうこと

別にできるフリとかできないフリとかしてるわけじゃなく、全力でやって全力で失敗してはじめて「やべーできなかったよ😆」って笑える方がずっと良くない?バラエティ番組とかそうじゃんね。本気で失敗してもなお楽しい。最高やん。

周りがどうだっていい。できないことは初回で打ちのめされている。スケートができるようになりたいから自分と勝負してる姿がむしろ逞しくてかっこよく見えた。

やりたい気持ちがあるから。自分で自分を茶化さない。

5歳の取り組む姿を見ながらワタシはそんなことをメッセージを受け取ってた。むしろ子供達のクラスを通して教えられていた。

人生って何が起きるかわからないじゃない。
できないことを茶化して誤魔化して生きる人生よりもトライしてこけて立ち上がって自分のポリシーみたいなもん大事に持って前を向く人生を生きていこう。

そんなことをリマインドした日。



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