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無駄な経験はワタシの人生には存在しない

あーこんなことやって意味があるんだろうか。この時間は勿体無いとか。なんか自分の人生に必要のない時間だったななんてジャッジしていたことがあったなぁ、なんて思っていた今朝。急にどうしたよ、ってなったけども、そんな時間が必要だったのよね。多分。なんでそんな気持ちになったのか、、、ちょっと考えてみたんだけど結局はこれ。

ただ自分が楽しめてなかっただけ

なぜ楽しめなかったかというとそれもおそらく理由があっただろう。だからこれが良くないことだとは思っていない。

思ったのは、これ意味があるのかな?って思えるってことでも実は何かは身に付いている。何か他に方法があるかもしれないって気づかせてくれてることとか。辞めるなり止まるなり伝えるなり何か行動を起こそうとしているし、すべて無駄な経験じゃないわけよ。

高卒で働いたワタシだけど、当時は分厚めの大型パソコンなんておうちにある家も少なくキーボードなんぞ打ったこともない、授業でワープロを触った程度のオナゴが、最初に事務職として働いたおかげで人差し指打ちからブラインドタッチ、エクセルやワードを使いこなすスキルが身についた。お金を稼ぐことを知り、自分次第でへり、増えるの仕組みを身につけ、海外でホテルの清掃員をしていた時は、ベットメイキングのスキルやなんとなく英語を使うスキルが身についた。なんだかんだ言いながらウエディングの仕事に巡り会えた。

これでいいの?これ意味あるの?って思えるということはまだまだ変化していけるサインでもあるのと同時に何かは得ているはず。

そう思うと、無駄な経験なんて本当は人生にはない。
むしろ、その経験があったおかげでプラスになることがあるんだな。と改めて思う。

ちなみに大きな変化ではない。ワタシはどうやら変化といえば大変身くらいのものを求めているようで。この身についたスキルや成し遂げた事柄は元々なかったものかのようにしていたようです。そして総じて「無駄な時間だなぁ」とか「意味ある?」とか口にしていたようです。

無駄だなぁ〜、って思うことから何を得られたか?に気がつけたら無駄じゃなかったじゃんに変わる。無駄と思うことがあるから無駄じゃないと思うことに気がつけるというか、マイナスなことにだけ気がとられてしまいがちだけど、マイナスを積み重ねてもマイナスが深くなるだけで。マイナスにあるプラスをひとつでも見つけられたら自分の心の世界は少し変わるような気がした。

無駄な経験なんてワタシの人生には存在しない

本当はそうなのよね。ありがたいよ。



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