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「読む」とは哲学的にいかなることなのか?——デリダを読む会のお知らせ

 ※参加者募集締め切りました!


(割と真面目な)前置き

 『眼がスクリーンになるとき』で知られる哲学者・批評家の福尾匠さんは、かつて短い「研究手帖」の中で、現代の思想的潮流を「読むことへの疲れ」とまとめています(「思弁的実在論における読むことのアレルギー」、『現代思想』2019年1月号)。それに対し福尾さんは、デリダやドゥルーズといったポスト構造主義のスタイルを「読むという経験の受動性を哲学に内在化させる試み」と形容して、いわゆる「思弁的実在論」に対置させるのです。

 この評言は直接的にはメイヤスーやハーマンといった現代哲学者に向けられた疑問ですが、「読むことへの疲れ」というフレーズは、皮膚感覚的により多くの現実を理解する指標となりそうです。私たちはツイッターを始め様々なところで文字情報に取り囲まれている。にもかかわらず、根本的に「読む」とはどういうことかを考える機会はほとんどありません。「読む」よりも先に手足が動き、知らない間に自分を発信しているのが現代というべきでしょう。長文を読むよりも自分を語ること、長考するよりもアティテュードを示すことが、大学の授業でも、社会でも、政治の現場でも賞賛されています。

 理論的で普遍的な言葉、あるいは歴史を語る困難さは忌避され、いま・ここの自分自身の——それ自体はむろん、真剣な——「生きづらさ」や「違和感」を直接表出する言葉が求められている。今や、思想本を読むよりハッシュタグの「運動」で連帯する方が私たちにとっては「政治的」にも「経済的」にも正しい。つまり、「ポリティカル・コレクトネス」という意味でも、「コストパフォーマンスが最高」という意味でも、です。——この私の文章そのものもまた、多くの場合今まさに「読み飛ばされて」いることでしょう。

 もちろん私はここで手放しで「沈思黙考」を賞賛したいのではありません。また、自分を語る言葉を抑圧しろ、と言うわけでもありません。私が考えたいのは、むしろその「あいだ」なのです。「考える」ことと「手を動かす」こと、「読む」ことと「書く」こと、「自己表現」と「他者理解」が、いかなる関係を実際には結んでいるか、なのです。

 理論と実践、能動と受動、自己と他者はどのように絡み合うのでしょうか。この伝統的でも現代的でもある問いの深淵に立ち会った哲学者として、私たちは——今さら——ジャック・デリダを召喚したいと思います。

使用するテキストとその紹介

 『根源の彼方に——グラマトロジーについて』(上下巻、足立和浩訳、現代思潮社、1972年)

 1967年に発表された記念碑的著作。同年に刊行された『声と現象』、『エクリチュールと差異』とともに、「脱構築の思想家デリダ」の名声を確固たるものとした(なお、「根源の彼方に」は訳者の足立和浩がつけた題でデリダによるものではない)。

 二部構成になっており、第一部では、伝統的な言語概念・伝統的存在論の批判を通じ、「エクリチュール」の哲学の可能性とその意義が主張される。デリダによる西洋の歴史の分析(「ロゴス中心主義」、「音声中心主義」、「現前の形而上学」批判)が見られるほか、「痕跡」、「代補」、「差延」などの重要概念が頻出する。また、ソシュールへの批判でも有名。

 第二部では、第一部の概念をもとにレヴィ・ストロースが批判された後で、ジャン・ジャック=ルソーが召喚される。ここでは、ルソーの著作をデリダ自身が「読む」という「実践的」な試みがなされ、より議論が複雑化する(ただしポール・ド・マンは第二部について「この読解は、『グラマトロジーについて』の理論篇を補完する単なる例証やいわゆる「実践的演習」をなすどころではなく、実際には本書の中心である」と評している)。

 全編通じてハイデガーからの決定的な影響が見られる「存在論的」な著作ではあるが、それにとどまらず人類学や言語学など多彩なテクストが縦横無尽に引用され、「読むこと」と「テクスト」をめぐる新たな思考が提示されていると言えるだろう。

日時・スケジュール

 隔週土曜日20時〜(90分程度の予定)。初回は9月19日(土)より。ディスコードで実施します。計画は参加者と相談して途中で変更する可能性があります。

 途中に総括の回も挟み、合計16回で終わる予定。

 はじめ「10週間くらいで全部読んでやろう」と思ったのですが、計画を立てていくうちに「死」が見えたので、考え直しました。結果として、半年以上かかります。参加希望者には初回に予定表を配布いたします。

形式

 森脇(私)による講義形式(レジュメ配布・レジュメ読み上げながらパラフレーズしていく)。質問の時間を途中途中で設けます。基本私が喋る形式です。友人の文学研究者の松田樹さん(神戸大)に「協力」として入ってもらいます。

必要な準備

 毎回の指定箇所(だいたい邦訳で30〜40頁程度)を読んでもらう以外特にいりません。隔週ですしそこまで負担はないかと思います。よっぽどやる気がある人はフランス語原文にもトライしてみてください。

参加資格・参加方法

 特にありません。無料。

 ただし、邦訳は高い上に古いもので、若干手に入れづらいです。図書館で借りられる方はできる限りそれをお勧めします(これが参加する上での一番の懸念点。新訳・文庫化が望まれるのですが…)もしくは、とりあえず上巻を買ってみるというのもありです。古本でも良いので。

 参加希望の方にはディスコードの招待URLをお送りしますので、こちらにDMをください(質問などもこちらにお願いします。なお、メールの場合は route.mt0731◯gmail.com まで)。私の知人以外の方は、できれば、ごく簡単な自己紹介も送ってもらえると助かります。→すいません、人数がかなり多くなっちゃったので締め切りました

その他(こんな人に向いている・向いていないなど)

 私は専門的なことにも触れますが、基本的にデリダ専門家のための読書会ではありませんので、デリダにすでに詳しい人にとっては若干肩透かしになってしまうと思います。個人的には(私の説明能力の限界もありますので)、「大学入ってから人文学系の勉強をある程度熱心にしてきた学部三回生」が理解できるくらいの説明を目指しています。

 逆に言えば、(言い方が難しいですが)「ある程度」は思想史・哲学史の知識が必要で、ヘーゲルもハイデガーもフーコーもサイードも聞いたことがない、「デリダとはダレダ」(©︎筒井康隆)という人は多分読み進めていくのが難しいと思います。テクスト自体が難解ですので、こればっかりは仕方ありません(参加自体は誰でも可能ですし、強制的に発言を求めることはしません)。

 なお、ある程度フランス語を理解できた方がわかりやすい箇所が多いですが、これについても解説するつもりなので、必ずしも読めなくて大丈夫です。

 聞き流してもらうだけでも大丈夫な読書会ですが、盛り上がりのためになるべくいろんなコメントをくだされば幸いです。かなり多面的なテクストなので、哲学以外にも文学、言語学、人類学、社会学、美学、精神分析、政治、批評等の人文学的な関心を持っている方は楽しめると思います。また(私は割と疎い方ですが)時事的・現在的な問題意識を持って読んでも面白いはずです。
 正直言って、読んでいくうちにデリダに反感を覚えたり、面倒臭いと思う人も多いでしょう。そのあたりもお聞きできればと思います。

 私自身のための勉強という側面も大いにある読書会なので、説明や理解が不十分な箇所は出てくると思います。その点、皆さんのお力添えをいただきたいと思います。

入門書の類

もしご興味があれば。

デリダ『ポジシオン』

J.カラー『ディコンストラクション』

V. デコンブ『知の最前線』

高橋哲哉『デリダ』

マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論』

宮﨑裕助『ジャック・デリダ 死後の生を与える』

ジェラール・グラネル「ジャック・デリダと起源の抹消」(宮﨑裕助さん・松田智裕さんによる翻訳がネット上で公開されています。松田さんによる解題もついています)

主催

森脇透青(京大・デリダ研究)a.k.a 左藤青(批評集団『大失敗』企画編集)

協力:松田樹(神戸大・中上健次研究)


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