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「一人で生きていける」そう思っていた過去の自分へ
なんだか、勢いで過去のことを書いて恥ずかしくなり、消去してしまった記事だったのですが、再UPします。2020年2月9日に書いたものです。
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今日はただ個人的に感じたことを書いて上げてしまおうと、勢いで書いていきます。
私の両親は私が小学1年生の頃に離婚し、母方の方で育ちました。
その後紆余曲折あって親との関係が破綻してたり、友人と呼べる存在が今はほとんどいなかったりします。
過去、私的には大親友だった子がいました。
その子と疎遠になってしまったきっかけは完全に私です。
距離が近くなりすぎて破綻したんですね。
好きすぎて、何でも私の事知って欲しくて。毎日のようにしつこいくらい連絡して…(笑)
でも、その道を辿るのは遅かれ早かれあったのだろうと今なら思います。
私は親子関係に問題があったからなのか、はたまた元々そういう性格なのかは分かりませんが、どんな形であれ褒められたかったんです。
ずっと、子供の頃から。
親がいないのにしっかりしてるね
歳の割にしっかりしてるね
勉強できるね運動できるね
小学生の頃は先生に優等生だと褒められたかった。
席に座って授業が始まる前、めっちゃ正しい姿勢で座ってるとか(笑)ほら、もみじさんはちゃんと座ってますよ〜とか言われたくて(笑)
中学生になってからは、毎日怒られ従っていた家族ではなく、大切なのは友人だと思って、友人のためなら何でもする!っていうくらい、友人に優しい人だと思われたかった。
だから、困ってる友人のためにわざわざ自分から濡れ衣を着せられに行ったりもしました。
でもね、頭の片隅で怒ってる自分もいたんですよ。やまぐちせいこさんのパクリです。笑
中学生の頃は今私と関わってくれている友人を大事にしたいと思ってたけど、バブられたりだとか突然の上下関係に全く馴染めなかったりとか、だんだん何もかも信じられなくなっていって。
まあハブられるようになった原因は先輩が怖すぎて部活をサボるようになったからで、同じ部活の同級生全員からシカトされたので、私が悪いんですけどね…。
そして中学2年生になってすぐ、不登校になりました。
もう学校に行くのはしんどかった。人とどう関わっていけばいいのか分からなくなりました。
そしたら今度はね、毎朝祖母に叩き起されるんですよ。学校は?!って。最初はフルシカトして布団に潜ってましたけど。
でね、祖母に言われるんです。
家に帰ってきてこうなるんだったら、帰ってこなければよかったじゃないと。
泣きましたね。
祖父からも、お前はこうなると思ってなかったのにと。褒められたくて優等生演じて聞き分けのいいいい子ちゃんでしたからね。
私、小学校高学年の頃祖父からの暴力を学校の先生に話してたんですよ。
今日は何時間説教されたとか。昨日平手打ちされたとか。虐待ですよね〜ハハーみたいに。
耐えきれなくて父方の曽祖父母の家に弟連れて家出して、そこから小学校に通って生活してたんですけど(曽祖父母には感謝してもしきれない)曽祖父が栄養失調で入院したのがきっかけで児童相談所に保護されることになったんです。
そのあと半年程里親さんにお世話になり、自分から家に帰りたいと言い出し(これは超身勝手な申し出だったので児相の方にも里親さんにも感謝しています)中学生に上がる段階で実家に戻ってきたんですね。
学校という社会で上手く生きられず、家でも毎日のように否定される。何もかもがしんどくて、私の居場所なんてないじゃない。誰も彼もが敵ではないかと思ってました。
今なら居場所は自分の考え方次第かな、と思えますが…中学生の頃の私は中学校と家が全てでしたし、何より世の中のこと何も知らない無知な子だったので、尚更居場所がないといつも思ってました。
最終的に私は中学2年生の夏頃に自殺未遂をします。
今思えは本当に愚かです。
でも、それがきっかけで役所の方とか教育委員会の方にお世話になり、中学校でハブられていたことを祖母に知られました。
そしたらね、家に居やすくなったんです。祖母があれこれ言うことがパタリと無くなったから。学校無理に行かなくていいよ、とか言われたことはありませんけど、「いじめてるやつのとこ行って文句言ってやろうか!!」とは言われたので祖母なりの愛情だと受け取りました。
とある先生は、まだ続いてたの?(ハブられてたこと)とか言ってきて、時間が解決する問題じゃなくない?って思いましたけど…。あくまでも他人ですから仕方ないですね。
まあ、自殺未遂という行動で初めて周りの大人が気づいてくれたんです。私という存在が病んでることに。笑
それでね、お世話になった教育委員会の方はわざわざ週に1回勉強を教えてくれたり、家に来てくれたりしたんです。
でも、ある時「私は一人で生きてく」って教育委員会の方に言ったら人は1人では生きていけないって言われて、私めっちゃ反発して…笑
今食べてる食べ物だって誰かが作ってくれたものだし、使ってる物だって…あーでもないこーでもないと。
今、自分で分析すると、私が言いたかったのはそういう意味の1人じゃなくて、本当の友人とかわかんないし独りで孤独に生きてくって意味だったんです。
まず話が噛み合ってなかったのに、伝えられなくて、「そうじゃなくて!!もういいです帰ってください!」って言って帰ってもらって。
そのまま、教育委員会の方々とは終了しました。
本当にどれだけの方に迷惑かけてきたんだか…。
今なら人が1人では生きられないと言った教育委員会の方の言い分はすごく分かります。私もそう思ってます。
私が触れているものは全て人の営みで出来ている物ですからね。このnoteだって。沢山の人の経験が詰まってて、noteを書いている人の努力や苦労も垣間見える。
私が立ち直れてここまで生きてこれたのも沢山の人の考えや知識に触れたから。祖母が毒親だったとしても、住む家が保証されてて、尚且つ食事を提供してもらい、義務教育を卒業するまでの学費はお世話になりました。
自立したって仕事を提供しお金をくれる会社があったり、家を建てた人がいたり、まあとにかくいくらお金のやり取りがあるからと言えど、そこで働く人がいるから私たちは今日今を当たり前に生きて行けるわけで。
ハブられたり不登校になっても友人がいなかったわけではありません。それでも私は孤独を感じていました。
誰も、心を許して相談できて、共感してくれる人がいない。誰も私にしてくれない。私はあんなに友人を大事に思ってたのに。
そう、ただ待ってたんです。受動的すぎて、他力本願すぎて笑えるくらい。
ここからはてんちむさんと同じ思考で、見た目から強くなっていけば人の私を見る目が変わるのでは?と段々ギャル化していきます。笑
こちらの動画でも話してました。
自分自身を大切に出来るようになったのは割と最近で、主人と出会ってからです。
中学校を卒業してからも幾度となく孤独感と付き合っていくことになるのですが、途中話した通り、やまぐちさいこさんの言葉をまるまるパクって、他人に優しくしながらも怒ってる自分がいたんです。
ギャル化して、ハブってきてた人が手のひらを返すような反応を見て、ああやっぱり表面だけ見て判断されてるんだ〜と感じたり
良く見られたい!という感情に諦めが入ってきてから、少しずつ怒ってる自分の感情が表に出てくるようになりました。
そう、それが大親友を失った最大のきっかけでもあります。
そして、10代後半に仕事で出会った友人も、それは違うんじゃない?という考えを伝えることで離れていきました。
今までは自ら濡れ衣を着せられに行ったりして、気付けば都合のいい人だったわけで。それで成り立ってた関係ですから崩れるのは必然です。
周りへの配慮も必要だけど、自分の想いや考えも大事にすることが、自分を大事にすることなのかな…と。
つい先日やまぐちせいこさんの動画見てやっとそう思えるようになりました。
友人を失って後悔しないなんて無理ですよ。悲しくないわけない。自分の言動にいっぱい後悔しました。
独りはしんどいです。人間は孤独を感じると寿命が縮むようですし。メンタリストDaiGoさんが動画で仰ってた気がするのですが、見つけ出せませんでした。
でも、それがなかったら私絶対今ここにいないと思うんです。主人と出会うことも無ければ、子供達もいなかったかもしれない。
自己犠牲し続ける人生だったら友人を失わなかったかもしれない。
でも自己犠牲が一生続くと考えたら?
そう思ったら後悔が少し和らぎました。
きっと自分が気付いてないだけで、友人関係に関しては私が悪い部分も沢山あっての疎遠だと思います。
だから自分を肯定するのは違うのではないか?それは他者から見たらいけないことではないか?気にしいの豆腐メンタルはそう語りかけてきますが、一時は人生を終了させようとまで思ったのに何とか生きてきた自分を褒めたいです。
ここまでくると、倖田來未さんのWALK OF MY LIFEという歌が沁みるのなんの…。泣きそうです。笑
完全に勢いで書いたので文章が拙い部分もあるかとは思いますが、ここまで長々とお付き合い頂きありがとうございました!
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