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「論理的思考力」の限界と、その先の思考力

いつも記事を読んでいただきありがとうございます。
今回は「論理的思考を超える思考」について解説します。

トロッコ問題

皆さんもトロッコ問題という話しを聞いたことがあると思います。

【状況設定】
線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

もし皆さんがこのA氏だった場合、どういう判断をするでしょうか?
これは1967年、哲学者フィリッパ・フットが発表した倫理的なジレンマを扱った思考実験です。

大きく分ければ以下の2つの選択肢が考えられると思います。

①5人を助けるために1人の犠牲はやむを得ないので進路を切り替える
②5人を助けるために1人を殺して良い理由などないので、そのままにして5人が犠牲になる

いかがでしょうか?
皆さんはどのように考えたでしょうか?

論理的な思考の限界

もしこの問題を論理的に考えたら、5人の命と、1人の命の数を考え、5人の命を守るほうが論理的な考えとなります。
これは功利主義と呼ばれ「最大多数の最大幸福」を目指す考え方になります。実は同じ質問をハーバード大学の学生にした時にも最初は90%の人が5人の命を優先したそうです。

一見すると正しいように感じますが、裏を返せば多くの人の喜びを追及するためなら、小さな犠牲は仕方がないという考えのため、強者の論理とも言えます。

しかし5人の命を選択するとした人であっても、もし1人の命が自分の子供や親だったら同じ選択が出来るでしょうか?
おそらく判断に相当悩むのではないでしょうか?

つまり論理的思考もたった一人の人間が誰かによって、その考えは揺らぐのです。
この人間的な感情こそが論理的思考力の限界なのです。

考え続けるからこそ人間である

実はこの問題は人間の倫理観を確かめる思考実験なので、実は明確な答えはありません。
では私たちはどうすればいいのでしょうか?

実は本当の答えは一つだけあります。
それは

「考え続ける」

ということです。
最終どちらか判断を下さなければならないとしても、最後の最後まで必死で考え続けることが唯一の正解なのです。

何か理由をつけて自分の行動を正当化した瞬間に、実はそれは「思考を止めた」というサインです。

それは考えても分からない問題に対して「諦めた」ということなのです。

そうではなく、最後の最後まで考えに考え、どうしても結論が出せずに判断をしたのであれば、それがその瞬間のあなたの決断であり、それが唯一の正解なのです。

もしその決断を下した後に、周りの人から「なんでそんな決断をしたんだ」と責められたとしても、それは全て後付けであり、その瞬間に持っていた情報以上の情報をもっている人と同等であるはずがありません。
(これは「後付けバイアス」という人間は結果がでてから、実は自分もそう思っていたんだと後付けで考えてしまうという脳の癖なのです)

まとめ

皆さんは現在、論理的思考力を高めることが重要であると考えているかもしれません。

しかしそれは、もしかしたら現状への諦めの答えを導いただけかもしれません。
本当はもっと論理と感情を融合して考え続けることが出来るのに、どこかで諦めてしまっただけかもしれないのです。

論理的な思考にも限界はあります。
まずは私たちはそこを理解したうえで、さらに思考を続けることが、本当は求められているのです。

皆さんもぜひ、論理的思考では答えが出ない問題を考え続けてみてください。もしかしたら、誰にも思いつかなかった「第3の解決策」が見つかるかもしれません。

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