見出し画像

2021/11/1

親愛なる皆さまへ

11月に入りましたね。いかがお過ごしでしょうか?

今、手帳やカレンダーを見ながら10月を振り返っていたのですが、ゆったり過ごしていたようで人に会ったり、新しいことを始めたり結構充実していました。コロナになって、外に出かけて退屈や嫌なことを紛らわすのではなくて、自分でどう楽しい時間を作っていくかが上手くなってきたように思います。

さて、今の私のホットトピックは、フードセラピーというオンラインの料理教室に参加していることです。SNSで「お母さんを楽にするための料理教室」があると知って覗いてみると、主催している人がガッツがありそうなオーストラリアに住む女性でした。その方の雰囲気、そしてフードセラピーという名の通り、レシピをこなすだけではなく、料理を作ったりワークをしながら自分の内側とも対話していくという内容を見て、これは私に合うなと直感して、飛び込んでみたのです。

それが、正解でした。

レシピなんてテケトーでいいんだよ、お母さんが義務でなく楽しんで作った方がみんなハッピーだよというメッセージを受け取りながら料理したり、考えたりしていると、私は料理の出来=自分の評価だと思っていた事に気がついたのです。

家族が私が作ったものを全部食べてくれたら100点で、食べてくれなかったり、何か一言でも言われたら、私はダメなんだ、母親としてお母さんとして、出来てないんだと減点をしていたんですね。

うん。でも、考えてみると、家族といってもそれぞれ好みやその日の気分があるし、それを完璧に把握して合わせることなんて出来ないですよね。しかも、お母さんだからといっていきなり美味しくて、健康に良いものが作れるわけではない。料理を自分自身の評価とひっつけて一緒にしていたけど、そもそも担当しているだけで、プロの料理人じゃないわけです。

だったら、失敗したり、成功したり、時には文句を言われて拗ねたりしながら、家族でその時間を味わえばいんですよね。料理や食事は、家族の信頼を深めるアクティビティの一つなのかな、と思い至ったのです。

良いことを思いつきましたよ、私。これで少しスッキリしました。そして、この役割=評価問題は、おそらく母親だけに起きている現象ではないはずとも思ったりして。父親は、家族を養うため多く稼いだら100点、子供は良い成績を取ったら100点てどこかで思っているかも知れませんよね。

もし、それが出来ていないと自分は良い父親じゃないんだ、良い子供じゃないんだってどこかで自分を責めているかも知れない。母親の料理と同じで、みんなそれぞれ個性があるから、父親だからといって稼ぐのが得意とは限らない、子供なんて勉強が得意な人ばかりであるわけがない。

自分の中のこうあるべき、こうじゃなきゃ、という思い込みは、親や社会からの刷り込みだったりするので自分と同一化しやすいけれど、それはあくまで一つの考えなんですよね。

と、少し硬いお話になってしまいましたが、こんなシェアをしてみました。

そう思う!いや、そこは違った角度があるでしょ、というご意見もお待ちしております。このメールに返信くださいね(m.a.satoko@gmail.com

皆さんの11月が良い11月でありますように。

また、お会いしましょう。
おやすみなさい

マルチアーティスト さとここにし

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?