ミリオン
わがままな大奥からつけられたその名も 『わがまま奥』この姫たちがどう奪い合っていくのか。どうやって将軍様に振り向いてもらえるかを書いた物語?
笑福亭松喬の『松鶴噺』という落語を聞きました。 西の落語家のどこまでが 基準で基本的に、 雇うことに関してを はなしていました。 落語のなかで、 一門含めて 噺のなかに入っているので、 非常に勉強になったなと思いました。
アニメ十二国記のOPで『十二幻夢曲』を原曲と楽器で比べてみました。 まず、原曲は、重みがあり、優雅な感じに聴こえました。色んな楽器が合わさっているので、とても重みがあります。優雅に聴こえたのは、その曲の中に華やかで、ゆったりとした部分があったからです。 次に、琵琶で、十二幻夢曲を聴きました。幻想的で、ゆったりとしていて、原曲と比べると、軽いと思いました。楽器の数も琵琶しかないところ含めても、そのように感じました。 そして、ピアノで、十二幻夢曲を聴きました。ピアノ
浪曲CD「この節この一番~名浪曲・関東節編~」を聴きました。 CDには、浪曲の色んな種類のが入っていて、江戸時代の実在していた人物の噺が多くあります。 その中でも、笑えるものや、感動できるものまであります。 浪曲のCDを聞いてみると、セリフの部分と長唄の部分が交互にでてきて、 三味線の音がするので、とても面白いなと思いました。 また、登場人物の心情が三味線の音であったり、張り扇の音であったり、声の音で、とても分かりやすく表現や体現されています。 浪曲でも
古今亭志ん朝の『お茶汲み』という落語を聞きました。 駆け落ちした夫婦が生き別れても、 違う人で顔が似ていたりして 不思議な縁があると感じるところがあります。 世の中には、夫婦というものにまで なってしまうと どこかで離れてもどこかでつながるものなのだなと思いました。
6代目笑福亭松喬の『算段の平兵衛』という落語を聞きました。 算段の得意な平兵衛だったかと思えばどこか自分の好きなようにものをみて勝手なことばかりをしました。 普通にみても、おかしな点がいくつもあり、算段は全て、人をあらわしているなと思いました。
立川談志の『鼠穴』という落語を聞きました。 あるときに金に厳しい人に借りにいくと、そのことで、 最初のうちは儲けて返せます。 しかし、もう一度金を借りると、 怒り狂い死んでしまおうかと、 自殺を図るが、 運というものに 助けられて、 人生はどうなるか分からないなと思いました。
笑福亭松喬の『墓供養』という落語を聞きました。 墓を供養するにも、 話ができなくて、 どもっていると駄目だと いうことがわかりました。 あまりにも、話したく無いことばかりなのか何なのか よく分からないことだな と思いました。
古今亭志ん朝の『桃太郎』という落語を聞きました。 桃太郎の昔話の話を親がしている時に、 何回も話しているのを邪魔します。 話しているものの邪魔をするなら、 わざわざ起こして聞かなくても良かったのではないか と何も納得できないなと思いました。
誰かを呪えば、何とかなるという発想や思想があるというのも危ないものです。 呪っても、自分に跳ね返ってくるのは確かです。本当に、呪うと私の場合は、心臓に来る人がいる話を聞きました。 その話によれば、心臓を踏みつけてくる悪魔が出たり、心臓が壊死してきて、心臓が止まりそうになった人までいたそうです。 私も時々はどこもぶつけてないのに、原因不明の痛みがくることがあります。このことに関して、あまり気にしないでいました。 そうして、呪った人に聞いてみると、メールやLIN
笑福亭松鶴の『狸茶屋』という落語を聞きました。 どれもあまりありがたく無い おなごばかりで、 どうしようもないなと いう感じでした。 そこで、狸寝入りしていたら、 本当に寝てしまうところは、 疲れていたに違いないなと 思いました。
春風亭小朝の『宗論』という落語を聞きました。 宗教で、 信仰心や信仰すれば どうなるのか含めてわかりました。 宗教を信じすぎれば、 馬鹿になりすぎて なんでもありなようになり 何だかわからないような 感情や心境になるなと思いました。
桂春団治の『阿弥陀ヶ池』という落語を聞きました。 何もわからないのとものを知らないものが多く 何が起きているかもわからないような人でした。 その中で、話を焦ってしてしまうと 何も伝わらなくなり、話したいことも分からなくなるのだなと思いました。
最近、宝くじをよく買うようになりました。 当たると思い描いて買っていた頃の方が、まだ良い結果だった気がします。 人間関係の事に関して、宝くじを買うと不幸なことがおこっているような気がしました。 それこそ、ここ5年間色々と人間関係とSNSの関係でやまされたのも事実です。 それで、SNSで私が呼んだせいで、なっていたと吹聴かと思ったら現実的に起こっていました。それを宝くじを買ってみて、その人々が離れるのかということで考え直してみた結果、どれも違う気がしました。
柳家喬太郎の『抜けガヴァドン』という落語を聞きました。 土管にガヴァドンを描いて、 勝手に、動かれたらどうなるかが よく分かりました。 本当にハンペンと間違えるような 体でも、 迷惑でしか無いもので、 嫌だなと思いました。
金原亭馬生の『王子の狐』という落語を聞きました。 王子というのは地名でした。 この噺の中に狐が出てくるのですが、 人間をだまし、人間にだまされて、 不思議で、嫌な関係でしかないようでした。 いくら憎んでいようが、やってやり返しても仕方ないなと思いました。
立川志の輔の『禁酒番屋』という落語を聞きました。 御神酒徳利の中に、 水カステラや油や小便に至るまで、 全てを飲み干すなんて、 変な人でしかなかったです。 それを気が付くのが遅いというのは、 本当に人の話は注意深く聞かなきゃいけないなと思いました。