河野家四国統一記 第5話

湯築城の広間に家臣たちが集められたのは、本山家攻略から間もなくであった。
上座には通直。左側には通宣、蘭、忽那通著、曽根高昌、戒能通森、平岡房実ら河野家譜代の重臣。右側には宇都宮豊綱・房綱兄弟、西園寺実充・公広、一条房基、土居宗珊らの外様衆が集結している。

「さて、今後のことだが…。細川家を攻めようと思う。」
通直は全員に告げる。実際には細川家、ではない。細川晴元の家臣であった三好長慶は、以前に父親を晴元に討たれており、恨みに思っていたようであり、遂に主君晴元を放逐、傀儡の当主を立て、実質的な権力を掌握していた。そのため、政情が未だ不安定であり、付け込む隙がありそうなところである。既に長宗我部国親には使者を出し、共に三好家を四国から追い出そう、と誘っている。無論、その後に狙われるのは長宗我部家であるのだが、国親の回答はまだ届いていない。
「となると、勝瑞に攻め上がるには天霧と白地(はくち)ですな。天霧から十河(そごう)、引田(ひけた)と回る軍と白地から伊沢を抜ける軍、2つの軍に分けるのがよろしいでしょう。」
そう語るのは重森である。それに宗珊が返す。
「天霧側は城が多うございますな。毛利に援軍を頼んで…」
「いや、援軍は頼まぬ。」
遮った通直の言葉に、一同がざわめく。相手は下剋上により室町幕府の三管領を務める家の実権を掌握している。対してこちらは地方豪族の寄せ集めだ。質も、量も圧倒的に不利だ。
「毛利なしに勝てるのか、大将?」
こういう時、言いにくいことを聞いてくれるのが、通著の役割である。通直は頷くと続ける。
「確かに強大な敵だ。しかし、我々河野家は常に、自分より強大な敵と戦い、これを傘下に収めてきた。こちらに並んでいる歴々のご協力があれば、負けはないと思う。むしろ、毛利に四国への足がかりを作られることをこそ、避けるべきだと思うのだ。」
 脳裏に浮かんだのは、村上義忠だ。娘と毛利隆元の婚姻を機に、村上水軍は毛利家の傘下に入った。義忠はその後、内地に転封となりそこで生涯を終えたという。水軍衆にとって、海から離れることほど辛いことはない。毛利家は棟梁・元就をはじめとする国人衆の集まりとして、尼子・大内の2大勢力の間で生き残ってきた。駆け引きの上手さは河野家の比ではない。援軍など頼もうものなら余勢を駆って十河城を陥れ、楔を打ち込んでくるであろう。
 その言葉に通著も納得した表情を見せる。が、しかしこれには大きな問題がある。通直の表情は明るくはならない。
「では、2方面から一気に攻め上がる、ということですな。今の河野家に2方面に回せる戦力はあるのですかな。」
その問題を抉ってみせたのは宗珊である。現状、通直の軍で武闘派、と呼べるのは通著くらいで、後は似たりよったりの平凡さだ。その通著も軍学の知識などない。言い方は悪いが、猪武者である。
黙りこくる通直を前に、宗珊はしかし、驚くべきことを言う。
「僭越ながら、山手の大将に房基様を任じてはいただけませぬか。不肖、この宗珊が補佐仕ります。」
「信用できるか!」
即座に通著が返す。つい先日まで対峙し、激戦を繰り広げた相手だ。譜代衆も皆難しい表情をしている。重苦しい空気の中、徐ろに房基が口を開いた。
「貴殿らの存念も至極当然。ですが、私が細川・三好の一党に与することは絶対にない。そも、曽祖父・房家公は土佐の支配を巡り細川と戦っており、加えて高祖父・教房は応仁の乱の混乱を避け、土佐に下ったわけですがその応仁の乱を引き起こしたのが細川と山名の実権争いだ。細川は重代の敵。許すことなら直接討伐してやりたいくらいだ。」
その気迫に一同は思わず黙り込む。すかさず、通直が尋ねる。
「そうなると、家を滅ぼしたこの通直は切り捨てたいほどの仇敵か?」
その問いには房基はからりとした笑顔で答える。
「滅相もございません。直接剣を交え、敗れた。その時、全ての話はついております。今はこの命、通直様に預けております。」
「だ、そうだ。それでは言葉に甘えて、房基殿にも骨折っていただこうと思う。」
かくして、海側は通直を筆頭に、忽那通著、戒能通森、平岡房実、宇都宮兄弟。山側は一条房基を総大将に、土居宗珊、曽根高昌、西園寺公広・実充親子で進軍となった。三好一党は手強い相手であったが、兄・長慶と不仲であった三好義賢、長慶の台頭に不満を持った地元の豪族・十河存春らを調略し、味方につけたことで諸城は陥落。毛利の出陣を待たずに、勝瑞城を包囲することに成功した。電光石火の作戦に三好勢は反撃の暇すらなかったのである。しかし、さらなる衝撃的な知らせが両陣営を襲った。長宗我部の軍勢が桑野城を襲撃、瞬く間に陥落させたとの知らせである。通直の諜報網にも長宗我部家の軍勢が動くとの知らせはなかった。こちらは神出鬼没、とでも言うべき出現であったのだ。

長宗我部家には特殊な制度が存在する。在地の農民達は、常住坐臥、のみならず農作業にも鎧と刀を持っていく。一度招集がかかると、半刻後には一兵団が誕生する。その鎧には予備は無い。故に、「一領具足」と呼ばれる。この国民皆兵、とも言うべき制度を住民に浸透させ、東土佐を制圧したのが国親であった。今回も、その一領具足が発動したのだ。

これにより、三好勢は勝瑞城の放棄を決め、海を越え堺へと落ち延びていった。遂に四国に残る勢力は河野家と長宗我部家のみとなったのである。
しかし、河野家は三好家の討伐後、直ちに兵を動かすことができなかった。一条房基が、何者かに暗殺されたのである。

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