河野家四国統一記 第4話

瀬戸内の脅威はひとまず抑えられた…。そう楽観視するほど、通直は甘くはなかった。悔やまれるのは村上水軍が毛利家の傘下に入ったことである。あの後、義忠はすぐに世を去り、現在は息子の武吉が水軍衆をまとめているという。しかし、あの縁談以降、村上家からの文は無い。それは村上家が河野家との縁を切り、毛利家に屈した証に他ならない。そしてそれは同時に、毛利家が四国に侵略の手を伸ばそうとしている証拠でもある。

「…急がねばなるまい。」
通直は一人、瀬戸内の海を眺めながら呟いた。伊予を糾合した河野家。西土佐の一条家を併呑すれば、その勢力は細川家に伯仲する。一条家の東ではあわや滅亡の縁から復活した長宗我部家が勢力を拡大している。彼らとぶつかるのも手だが、毛利家に四国への進出を許す恐れもある。まずは、細川家を四国から追い出す。そのために、通直は密かに長宗我部家に使者を送っていた。長宗我部国親は一条房家、房冬親子の庇護を受け勢力を回復してきた経緯がある為その結びつきは強固であったが、房冬の死後、家督を継いだ房基とは良好な関係を築いているとは言い難い状況であった。そこに通直は付け込むこととした。房基と国親、土佐の名将を2人敵に回してまで勝てるほど、河野家の勢力は大きくない。地道な調略の末、国親の不戦を取り付けることに成功したのがつい先日のことである。

即座に、通直は軍を進発した。大森城から四万十川沿いに南下すると、目指すのは中村御所である。宇都宮兄弟は別働隊を率いて宿毛城へ向かっている。細い山道を抜け、中村に入るところに、軍が展開している。中央の三百騎だけは明らかな闘気を発している。房基自身が率いる精鋭。前回、大森城を攻めた際に来た、軍勢だ。通直は兜を締め、騎乗する。軍全体が緩やかに前進する。敵の前線と激突する。その瞬間、軍の中央がわずかに揺れた。
 動いた。そう確信すると同時に通直は右に駆け出す。錐の様に鋭く固まって突撃してくる下がり藤の旗に右側から通直の軍勢が突っ込む。動きが鈍る…がそのまま駆け続ける。並の敵なら突っ込んだだけで四散する。やはり土佐七雄の盟主と呼ばれる一条家の御親兵。ただならぬ強さである。通直は混戦を嫌い、兵を退かせる。房基の親衛隊も消えた。後は兵同士のぶつかり合いだ。左翼が揺れた、と見るや通直は親衛隊を左に走らせる。奥でも同じ様に右に走る土煙がある。せめぎ合いの中で一瞬、河野軍が左翼を押し込んだ。その隙間を通直の兵が駆け抜ける。通直は先頭で近づいてくる敵将を見据える。呆れたことに、狩衣の上から鎧を身に着けている。だが、その腕はおそらく本物だ。着物の差など力量で埋めてしまう、それ程の男である。すれ違う。手応えはあった、が浅い。こちらは切られていない。狩衣の袖が刀を掬い取っている。もう一度、すれ違う。通直の刀は袖に絡められ、房基の斬撃は大袖をかすめる。通直は思考を変えた。
 三度通直の軍と房基の軍がぶつかる。房基の斬撃。三度目のそれは、ゆっくりと通直の目に映った。右腕でしっかりと手綱を握る。鐙から右足を抜き、落馬寸前まで体を倒す。頭上を刀が抜ける。その刹那、通直は右腕を撥条の如く一気に引き絞る。左腕を伸ばし、房基の右脇に滑り込ませ、一気に抱きかかえる。無論、片腕で男二人を支えるほどの力など通直にありはしない。馬が駆け抜ける隙間を狙い、通直は手綱を離す。体の下に房基を入れ、そのまま落下する。土煙と共に、二人は地面に落ちる。力の抜けた房基に刀を向け、通直は宣言する。「土佐国司・一条右近房基、河野弾正が召し捕ったり!」戦場の時が、止まった。

 目を覚ますと、河野の陣にいた。負けた。房基が思ったのは、ただそれだけであった。読み合いは互角であった。ただ、最後に死地に飛び込む勇気が、通直にはあり、自分にはなかった。根からの軍人にはなれなかった。狩衣の上から鎧をつけていたのも、そうした自分の奢りだ。足利義輝公と共に学んだ一刀流の前に敵う田舎武士などいないと、侮っていたのだ。その奢りを打ち砕いた人物が、今目の前にいる。
 「先程は、手荒い真似を失礼した。右近様。」通直は深々と頭を下げた。とはいえ、自分は上座で、房基は縛られ、下座にいる。既に宿毛城へは房基を捕らえたとの使者を送っている。時期に開城するだろう。一条家の命運もほぼ決まっていた。
 「本来であれば、当主である右近様のお命を頂戴しなくてはならないところですが…。某は無能です。今回の戦も正面からぶつかり続けていれば右近様の勝ちでした。某が奇をもって掠めとった、偽りの勝利でしかありませぬ。」
 偽りのない、本心であった。伊予家中のものなど、何代にも渡り時に手を結び、時に争ってきたものであり、その動きや考えは手にとるようにわかった。それ故に勝ちを拾ってきたのだ。だが、この先相手にするのは、気心のしれぬ強敵だ。それを相手に互角に渡り合うことなどできないことは、通直自身がよく分かっていた。自分が必死に調練し鍛え上げた兵と同等の力を持つ強力な部隊を、目の前の20代の公家上がりの若武者が整えた。それは取りも直さず、房基の可能性を示唆するものであった。
「房基様。共に戦ってはくださいませぬか。土佐の経営はおまかせします。その力を、存分に奮ってはくれませぬか。」
 敗軍の将、それも自分より一回り以上も若い小僧に頭を下げる通直の姿を見て、房基にも感ずるところがあった。子の万千代のためにも、平和な世を築かなければならない。
 一条家が、河野家の傘下に入って間もなく、本山茂宗が西土佐への進行を目論み進軍した。しかし、直前で大友家の仲介が入り、停戦となった。しかし、この隙に乗じ、長宗我部国親の軍勢が本山城を襲撃。寡兵の城は陥落した。行く宛を失った茂宗らは朝倉城に落ち延びたが、停戦の切れた通直らの軍に攻められ、落城。茂宗・茂辰親子は降伏し、斬首こそ免れたが、本山家は滅亡した。

かくして、四国の小勢力は統一され、河野家、長宗我部家、細川家の三国時代が到来する…かに思えた。(続く)

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