【大河ドラマ連動企画 第7・8話】どうする○○

第7話。ようやっと第1章のボス・鵜殿長照をぶっ倒し、家族を奪還した家康。突然、信長に呼びつけられ恫喝されている。今風に例えるなら自分ちの庭で突然BBQ始めた隣家の怖いパイセンにお前んちの軒先に蜂の巣くっついてんだけど?うちに蜂飛ばすんじゃねぇぞ?ってガンつけられた感じである。「対等なはずなのに、信長の下みたいな扱いが気に食わない」とか言ってる場合じゃないよ家康、完全に下に扱われてんのよ
そして妻子に対する扱いが完全に過保護パワハラである。帰りが遅いと言って怒り、ママ友とお出かけするのに反対したり。まぁお出かけ先が宗教法人運営のクラブだもんな…。後は義母がすごいめんどくさい姑ムーブをかましてくる…。瀬名は泣いても良い。むしろこのままでは闇堕ちまっしぐらである。なんでこんな良い子が…。
宗教法人運営クラブ、もとい本證寺はリトル石山本願寺かな、と思うくらいの要塞都市と化しているが、まぁ半分くらい合っているのでこの大河ドラマでは正しく描写しているといっても過言ではない。そこの無責任坊主は「政府が悪い!対案?知るか」みたいなクソ野党発言をかましているし(まぁ為政者ではないからしゃあないといえばしゃあない)、当の家康は知性のへったくれもない「強制執行」をかます。見ていてどんどんストレスが溜まってくる大河ドラマである。知らん間に凸凹コンビ忠勝と康政が仲良くなっていて良きかな。
第8話ではいよいよ一向一揆との戦闘に突入。部下や隣人や親戚と殺し合う鎌倉殿の13人第2章泥沼状態に。身内を信じられずに疑心暗鬼になる家康。これだめな地方領主が滅びるやつやー。株が爆上がりしていく義元様と爆下がりしていく家康公。そして便利扱いされる半蔵。裏切る正信。生きてたのか、吉良義昭&松平昌久(詳しくはこれまでのどうする○○を読んでください)。さて、こっからどうやって史実につなげるつもりなのか…。どうする脚本。暗い話ばっかの中で、瀬名だけが希望。うーん、義時ならきっと彼女の聡明さを理解できるのに、今ひとつ家康はわかってない感じがする。

前置きが長くなったが、今回ちらりと顔見せした夏目広信じゃなくて吉信でもなくて吉次広次は今後活躍するため当然のように取り上げるわけにはいかない。
ということで今回は呼応して蜂起した人々を扱っていく。

第7話 「どうする家次」 松平家次

第7話枠は松平家次を取り上げる。また松平かよ…となるので、とりあえずこの辺りで一度松平氏について整理してみよう。。

現在の松平氏の祖と考えられている人物は松平親氏である。出自が清々しいほどに不明である。一般に広く知られているのは新田源氏世良田氏の末裔、というものだがこれは江戸幕府が後から都合の良いように作った嘘と言われている。この時代、「家系図ロンダリング」はみんなやっているので気にしてはいけない。話を親氏に戻すと、彼は三河松平郷の国人であった松平信重の養子に入り、その家を継ぐ。信重自身も地元で名の知られた名士だったようで、彼が見込んだ親氏もそれなりに有能な人物であったことは間違いない。嫡男泰親と共に松平氏の基礎を築いたとされているが、実はこの辺りはそもそも存在も怪しい領域である。親氏の没年に諸説あり、その差が100年に及ぶという。比べるのも失礼かもしれないが、欠史八代レベルの誤差である。ちなみに、この親氏の子に酒井氏の祖、広親がいるという(娘婿という説もあり)。このパターンが戦国武将と家臣団のデフォルト、分家のデフォルトである。(今川氏と関口氏、武田氏と一条氏などがこれに当たる)。
実在が確認できるのは3代・信光からである。そしてこの次の代からねずみ算式にいわゆる「十八松平」と呼ばれる諸氏が分家していく。ちなみに家康が所属するのは信光の三男・親忠を祖とする「安祥松平家」である。

では以下に松平家の分家を列挙していく。wikipediaの「十八松平」の項目を参考にしているが、世代ごとに分家を列挙していく。

本家
岩津(いわつ)松平家(岡崎市岩津町)、泰親→信光→親長と継承されるが、今川氏の攻撃を受け衰退、宗家は安城松平家に移る。

信光の子世代(7家)
長男:守家、竹谷(たけのや)松平家(蒲郡市竹谷町)
三男:親忠、安祥(あんじょう)松平家(安城市)、のちの松平宗家→徳川氏に
四男:与副、形原(かたのはら)松平家(蒲郡市形原町)
五男:光重、大草(おおくさ)松平家(額田郡幸田町)、松平昌久はココ
七男:忠景、五井(ごい)松平家(蒲郡市五井町)
八男:光親、能見(のみ)松平家(岡崎市能見町)
十一男:親則、長沢(ながさわ)松平家(豊川市長沢町)

信光の孫世代(4家)
①安祥松平親忠の子世代(3家)
次男:乗元、大給(おぎゅう)松平家(豊田市大内町、名前が残っていない…)
七男:親光、西福釜(にしふかま)松平家(安城市福釜町)、鴛鴨(おしかも)松平家と称したとされるが系図があやふや
九男:乗清、滝脇(たきわき)松平家(豊田市滝脇町)
②五井松平忠景の子世代(1家)
次男:忠定、深溝(ふこうず)松平家(幸田町深溝)

信光の曾孫世代、安祥松平長親(親忠の三男)の子世代(4家)
次男:親盛、福釜(ふかま)松平家(安城市福釜町)
三男:信定、桜井(さくらい)松平家(安城市桜井町)、安祥松平家とは宗家の座を巡り犬猿の仲、松平家次はココ
四男:義春、東条(とうじょう)松平家(西尾市吉良町)、初期は青野城(岡崎市上青野町)を根拠にしたため青野松平家とも言う
五男:利長、藤井(ふじい)松平家(安城市藤井町)

信光の玄孫世代、安祥松平信忠(親忠の嫡男)の子世代(2家)
次男:信孝、三木(みつぎ)松平家(岡崎市上三ツ木町)、もともとは合歓木(岡崎市合歓木町)を領有したため、合歓木松平家の別名を持つが後述の弟の領地を押領し、三木松平家を名乗る。なお信孝は増長が過ぎたためその後追放されている。
三男:康孝、鵜殿(うどの)松平家、もともとは三木を領有していた、経歴がぐちゃぐちゃ、鵜殿氏と縁戚関係?など不明な点が多い、十八松平の問題児(歴史学的な意味で)

以上が「十八松平」に記載されているが、その他にも
大給松平乗元の三男乗次を祖とする宮石松平家
松平信光の九男家勝を祖とする丸根松平家
松平親忠の五男張忠を祖とする牧内松平家/矢田松平家
などが乱立していたとされている。みんな武衛松平だ!

この中で安祥松平家に対立していたのがもともと岡崎城を有していた大草松平家、松平清康(家康の祖父)と松平宗家の座を争った桜井松平家、暴走しまくった三木松平家(というか信孝)である。物語の時点では信孝は追放されているので対立勢力は大草松平昌久と桜井松平家次である。

桜井松平信定は安祥松平長親の三男として偏愛を受けて育ったと伝わる。そのため、松平宗家に対する執着があったとされる。その対立相手となったのが松平清康であった。この二人の間には諍いが絶えなかったが、ここで大きな事件が起こる。松平清康が家臣に暗殺される「守山崩れ」が発生する。これを好機と見た信定は本拠・岡崎城を簒奪、清康の嫡男・広忠を追放する。しかし、そもそもこの暗殺は家臣からの忠義が離れたわけではなく内応の疑いがかかった家臣の息子が勘違いから清康を惨殺したというもらい事故。そのタイミングで謀反同然に城を奪った信定に同調する松平家臣などいるはずもなく、今川家からの攻撃も受けた信定は早々に敗北する。しかしその後も桜井松平家は信定、清定、家次と常に安祥松平家との対立姿勢を続ける。
桜井松平家次は酒井忠尚(忠次の親戚)、榊原長政(康政の父)と共に松平広忠(家康の父)と戦って敗れ、その後は(しぶしぶ)安祥松平家に従っていたようだが、三河一向一揆のタイミングで挙兵する。これが最後のチャンスとばかりに出た賭けだったが、敗れ、その後は家康に従属することとなった。一応一族として厚遇されたようで家名は明治まで存続している。今回、昌久よりは明らかに強そうなポジションながら登場する可能性は極めて低いと考えられる。
ここからは独自解釈だが、あれだけ丁寧に描き、完全に対立姿勢となった三河一向一揆。史実では本證寺の空誓上人は後に三河に復帰、徳川家に接近している。ストーリー上、空誓上人の民に対するあり方を認めるということになるわけだが、戦の帰結には責任を取るものが必要となる。そのスケープゴートとして義昭と昌久が用意されているのだろう。二人は三河を追放され異国の地で死去する。そのためには松平家に許され仕えている桜井松平家は不都合であり、今回オミットされたのだろう。
実際には昌久はすでに当主の代ではなく、孫の正親が桶狭間の戦いで戦死している。昌久自身も吉良義昭の家臣として戦った形跡があり、当主(あるいはその父)として戦った桜井家次とはスタンスが異なる。昌久の曾孫に当たる(正親の子)康安が徳川信康の側近として取り立てられている。あれ、やすやすって…。

第8話 「どうする忠尚」 酒井忠尚

前回、今回と出てきた三河の反乱分子の一つが、酒井忠尚である。もともと酒井氏は松平親氏の子孫で松平氏と縁戚にあたる。松平氏と同様に今川氏から対応されているほどの国人として勢力を保ったようだが、広忠との関係は臣従と対立を繰り返している。ちなみにえびすくい忠次の叔父に当たる人物とされる。今回も三河一向一揆に乗じて反乱を起こしているのだが、着目すべきなのは三河一向一揆よりも先に蜂起していること、また信長に謀反の疑いありで捕らえられた部下に含まれていないことである。今回蜂起したのは桜井松平、吉良・大草松平、荒川義広(吉良の遠縁)、忠尚なので実質反乱を補足されていない唯一の存在である。また、史実では三河一向一揆が降伏した後も抵抗を続けており、単純に反乱しただけで一向一揆とは連動していないらしい。他の諸勢力も別に連動していない、という近年の研究もある。

かくして激しい抵抗を続けた酒井忠尚だが、最終的には居城・上野城が陥落。落ち延びて行方知れずとなる。孫の代で徳川家に帰参した人物が何人かいるようだが、実質三河での勢力を失うこととなる。今回オミットされた理由はいくつかあるが、大きく2点。まずは一向一揆と連動していない、という史実。そして、忠臣忠次の叔父という立場が話をややこしくしているからだ。見ての通り、序盤で一向一揆に分かれた人物はさらっと離れ、夏目広次が裏切った以外は主要メンバーは家康側という構図にしている。そんな中で叔父が抵抗勢力となるのは疑心暗鬼になった家康に真っ先に切られる候補となってしまうのだ。
実際には忠尚以外にも石川数正の父・康正や鳥居忠吉の四男・忠広、榊原康政の兄・清政も一向一揆に加わっているがばっさりオミット。「裏切り者が…まだ…ご家中に…」じゃないんよ。みんな一族割れてるんだよ。

かくして三河を二つに割る大きな戦乱となる三河一向一揆。果たしてどのように決着するのか。気になるところである。

ちなみに最終回までこの連載が続くかについては空誓上人からのお言葉を引用する。
『知らん。立場が違う。ネタを提供する側とそれをイジる側じゃ。』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?