【大河ドラマ連動企画 第41話】どうする雄久(土方雄久)

鳥居元忠、久しぶりに出てきたと思ったらえらく老けましたな。家康との涙の別れのシーンは、創作だろうと史実だろうと、今回の大河ドラマでは絶対に欠かせないシーンだと思う。丁寧に描いてくれたことには感謝しかない。
そして最後のシーンでしれっと登場する奥方ver.の千代さん。ということは…。

一方で、脚本全体の流れで見ると久しぶりにグダグダ感が酷い。あれだけボロクソ罵倒されても睨み返してくる大野治長が東軍につくビジョンが全く見えない(関ヶ原の戦い直前に赦免され東軍に従軍、活躍している)。吉継に野心はないと伝えたシーン(三成の復帰を考えている)の後に家臣団が「天下を獲りましょう」と言っているシーン。吉継も他の豊臣旧臣もいる中であんな気炎を上げておいて「天下簒奪の野心なし」は流石に無理がある。
三成と吉継の逸話も無理やりぶっ込んだせいで情報が渋滞。三成が倹約に務め、城にはほとんど金銭が残っていなかった逸話があるのに大量の金品の出処を「大阪城」としてしまう。
一番の問題は茶々で、家康を焚き付けて西軍を放棄させておきながら、「三成のせいで困っている」と送っている。主目的が家康討伐なのか、豊臣家崩壊なのか、双方への保険のつもりなのか。いずれにしてもやり方が下手すぎてそりゃ家康も乾いた笑いしか出ないだろう。

今回はちらりと顔見せをした大野治長…の横に座って平身低頭していた土方雄久について取り上げる。

土方氏は清和源氏頼親流宇野氏の末裔で大和国土方村に在住したため、土方氏を名乗ったとされる。織田家に仕えるようになった詳細は不明ながら、雄久の父・信治の代から織田信長に仕えている。しかし、信治は若くして戦死したとされる。一説には1556年の長良川の戦いで斎藤義龍軍と交戦し死亡したとも言われ、その場合雄久は3歳にして父を失っている。
長じた雄久は信長の子・信雄に仕えることになる。この時点で偏諱として雄良として名乗っており、信雄の重臣としようという信長の意図が見えるが、雄久は期待を裏切らず織田信雄の軍事行動に随伴し活躍を見せている。
小牧・長久手の戦いにおいては信雄の命令で豊臣秀吉と通じた(とされる)津川義冬、岡田重孝、浅井長時を殺害している(どうする家康でも描かれた)。最終的に犬山城主まで出世するが、その後織田信雄が国替えを拒否した結果改易されると、秀吉の独立大名に取り立てられ、越中野々市を領有することになる(余談であるが、この「野々市」は現在の石川県野々市(ののいち)市ではなく、富山市布市(ぬのいち)である。時代の変遷で地名が変化したのであろう)。

順調にキャリアを積んでいた彼を悲劇が襲うのは慶長4(1599)年。ドラマでも取り上げられていた通り、前田利長と共謀し徳川家康の暗殺を試みたという罪状で改易されてしまう。常陸国に流された土方雄久だったが、翌年、汚名返上の機会が訪れる。石田三成の挙兵に際し小山に着陣していた家康に呼び出され、前田利長への工作を命じられるのである。前田利長を東軍に勧誘する使者となり、これを成功させた雄久は野々市の領主に復帰。初代布市藩主に就任する。その後は国替えの結果、下総田子藩を領有する。晩年は秀忠の御伽衆を務めた彼は慶長13(1608)年、56歳で天寿を全うする。長男は伊勢菰野藩主、次男が彼の領地を引き継いだ。次男の系統は陸奥国窪田藩に転封となり、その後お家騒動で断絶するが、長男の系統は幕末まで命脈を保った。

たった一つの「どうする」で身を滅ぼすこともあれば、たった一つの「どうする」で逆転できることもある。土方雄久の生涯はそれを教えてくれた。

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