【大河ドラマ連動企画 第14話】どうする元明(武田元明)

もういよいよ大高城=岡崎城=掛川城=金ケ崎城と変える気ゼロなセットの話とか、戦時中に地元民とカニ食ってるポンコツ三河武士団とか、尺の使い方がめちゃくちゃとか、無駄にマラトンの戦いの如く死ぬ侍女とかツッコミが追いつかなくなってきた。キャラクターも毀誉褒貶が激しい。信長と家康の関係性とかはこの方が解釈として面白いし、ここまでクズい秀吉も素敵だけど、光秀、義昭辺りは悪意がありすぎる気がする。あ、「あずき」の解釈自体は素敵だと思う。定説を織り交ぜなからの新説解釈は去年を彷彿とさせている。それに1話まるまる使う必要があったかは別として。あと、「えびすくい」は東海鉄板ギャグという位置づけで行くのね。そりゃ長篠で信長が所望するわ。徳川四天王筆頭は鉄板ギャグ持ち。
ちなみに、今回お市の方を監視し、間者を捕縛、亜月を転落死させた(と思って死体を確認しない悪役あるあるのポンコツムーブをかましてしまったのはご愛嬌)有能すぎる浅井家家臣を演じたのは滝川広大さんと言う2.5次元ミュージカル系の俳優。いい味出ていたけれど、家臣は誰を想定していたのだろう。浅井家家臣のモブにもちゃんと配役を当ててほしかったところ。

正直、新出マイナー武将がいなさすぎてネタに困るのだが来週には金ケ崎をファスト消費するらしいのでそのきっかけになったという説もある人物を取り上げる。

武田元明と武田氏

武田元明。名前だけ聞くと甲斐の戦国大名・武田信玄の一族かと思うが、実際には非常に遠縁。若狭(現在の福井県西部)に勢力を誇った若狭武田氏の末裔である。
武田氏の祖は昨年の大河ドラマにも登場した武田信義である。その曾孫・信時の代に、幕府の命令により安芸(現在の広島県西部)守護に任命され移住、安芸武田氏が生まれる。しかし後に甲斐・安芸守護職を共に剥奪され、弟の政綱に甲斐守護の座を奪われてしまう。信時の孫・信宗の代に安芸守護の地位は取り戻したものの、甲斐守護の座はさらにその孫、信武の代まで待つこととなる。信武は一度別れた安芸・甲斐守護職を再度統一したのち、自らの子のそれぞれに継がせ、信時の系列が再度武田氏の本流となる。しかし、信武から数えて5代の後、信栄の代に室町幕府将軍・足利義教から若狭守護職を賜り、武田の宗家は若狭武田氏となる。甲斐から始まった武田氏は安芸、そして若狭へと嫡流が移動していったのである。

若狭武田氏

若狭武田氏初代・信栄が若狭守護職を賜った理由は義教に従わなかった一色義貫を誅殺したからだが、若狭にはその一色氏の被官が多く信栄は中心地の小浜に入ることなく28歳の若さで病死。弟の信賢が国内統一を進めていったものの応仁の乱に際して丹波国の一色氏を攻撃するなどの外征も多く盤石とは言えず、家臣の戦死や敗戦で劣勢となる中病死する。その跡を継いだのが弟の国信である。国信の子・元信、孫・元光の代に若狭武田氏は最盛期を迎えるが、幕府政治の混乱期に関わったため、度重なる出兵を行い若狭国は疲弊、被官の逸見氏、粟屋氏の叛乱を招き次第に弱体化していく。元光の子・信豊は従弟の信孝を要する粟屋元隆を破り家督を継ぐが、自身の家督争いで嫡男・義統に追放される。義統も父だけでなく弟を擁立しようとした粟屋勝久、叛乱を起こした逸見昌経らを破るがこの際に朝倉氏の援助を受けたため、今度は朝倉氏からの圧力に悩まされることになる。

武田元明の生涯

その義統の子が武田元明である。家督を継いだのは永禄10年(1567年)。織田信長が岐阜を攻略した頃である。すでに有力家臣の内藤氏、粟屋勝久、逸見昌経は各々の居城に拠り半独立状態でガバナンスが全く効いていない状況であった。これを好機と見た朝倉義景は若狭に侵攻、瞬く間に本城・後瀬山城を包囲。自害を覚悟した元明であったが、義景に説得され半ば拉致に近い形で一乗谷に移住させられた。
かつては室町幕府運営に多大な貢献のあった武田氏の窮状を救うべく、若狭・越前に侵攻したのが織田信長であったという説が近年唱えられている。この際に粟屋氏らはいち早く信長に内通していたようであるが元明は越前に留められたままであり、結局元明が解放されたのは天正元年(1573年)の朝倉氏滅亡である。しかし、その後も若狭国は織田家の重臣・丹羽長秀のものとなり、家臣は長秀の与力となる。元明は捨て置かれ、天正9年(1581年)になってようやく逸見昌経の死去に伴いその領地を奪還できたが、長秀の与力という立場に過ぎなかった。これを不満に思ったのかはわからないが、翌年の本能寺の変に際しては明智光秀に呼応。若狭国衆と共に近江佐和山城を陥落させるなどの活躍を見せたが、明智光秀は羽柴秀吉に敗死。恭順の姿勢を見せようとした元明は近江海津で自害に追い込まれた。享年31。衰退したかつての名門の当主として運命に翻弄され続けた若き武将は遂に再興を果たせず乱世に散ることになったのである。

エピローグ

元明の嫡子・義勝は命を救われ、武田という名字は変えたものの母の実家・京極氏の家臣として家を繋いでいく。母・京極竜子はその後、羽柴秀吉の側室となる。その兄、京極高次は浅井長政の娘、初を妻とする。初の姉が茶々(淀殿)であり羽柴秀吉の側室、妹が江であり徳川家康の三男・秀忠の正室である。妹と妻が秀吉と関係しており、その威光にすがっているとみなされ「蛍大名」の蔑称を受けていた高次だったが、関ヶ原の戦いでは西軍から突如東軍に寝返り大津城に籠城。西軍総大将の血縁である毛利元康や西国無双と謳われた立花宗茂を相手に2週間の間抵抗し、関ヶ原の戦い本戦に主力軍の一部数万を不参戦とすることに成功し意地をみせた。
ずっとうだつの上がらない人生を強いられ、最後のチャンスに飛躍した両将。その結果は大きく分かれた。人生の決断には常にリスクが伴う。それでも決断しなければならない。今回の話でも亜月には、伝令にいかないという選択肢も、途中で走るのをやめるという選択肢もあった。最後に命を落としたとは言え、その決断は一つの歴史を変えた。人生の決断が思わぬ歴史の変化を生むことだってある。これからの家康の「決断」は歴史をどう変えていくのか。まずは次回、いかにして金ケ崎を脱出するかが描かれる。
えっ、もう姉川までいっちゃうの?

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