ゴミ拾いデモスタイル

今年は、受験を捨てて打ち込んだ活動として、デモ活動や、農作業などに力を注いだ1年だったと思う。

旧来の自分の中では受験勉強というものに、やはり多くのウエイトを置いてきた。勉強は変わらずやりたいことだし、自分なりに納得のできる結果が得られるまで追い求めていきたいものだと思っている。

ある種の、行き詰まりの中で、別のアプローチという意味で、今年は外的に交流の多い時間を過ごした。

いろいろな紆余曲折を経たうえで、今年の4月から毎週1回の繁華街のゴミ拾いデモの活動を開始した。今日も行い、通算38回目を完了した。

活動内容を端的に書けば、ゴミ拾いをしながらプラカードをキャリーカートの全面に箱状に張り合わせて、自分の主張や拡散したい情報を掲示して、黙々とゴミ拾いをして練り歩くという活動だ。

そもそも、去年の12月、世の中の異様な状態に対して、個人として情報をただ集めているのではなくて、何かを動かすための行動をしなければという思いに駆られて多くの人が動き、その中で、俺も動いていたのが始まりだった。

ツイッターでは非常に有用な情報が取れるということが、ほとんど日本人の大半には認知されていないような気がしていた。いくら、ツイッター内で主張を重ねたり、情報を引用したり、拡散したりしても、同じ同志内だけで循環しているだけというのが現状だったと思う。

やはり、家から街に出かけて、情報を拡散し、ツイッターやネットに縁が薄く、テレビや新聞、政府発表の情報を、うのみにしてしてしまっている人たちに、こういう情報もあるということを知らせるという意味で、外に出て活動することは絶対に必要だと思っていた。

もちろん、個人レベルの行動で何かが変わるということは、ほとんど期待はできない。しかし、個人が動かなければ何も変わり様がないのも、また事実だと思う。

デモ活動というと、その参加者の数が活動の基準になっているような感じはあるが、個人にとっては、自分が行動しているか、していないか、それだけが評価基準で判断基準だと思う。

何人参加するかは、集団的な圧力や気迫を感じさせることはできるが、多くの人が参加したから、必ずしも、人数に比例して主張が通っていくというものでもないように思う。むしろ、全く孤立無援の一人一人が別個に立ち上がって、淡々と自分の活動を細々と続けていくことが、その個人にとっても意義があるし、一人で活動していることの影響力や情報の伝達は、必ずしも大人数で訴えて主張することに劣らないのではないかと思う。

大人数でやると、確かに参加はしやすいが、自分の意志は、ともすれば集団の中で希薄になりがちなのではないかと思う。訴えたいことがあれば一人でも訴える。その気持ちがまずは原点にあり、常にそこを原動力に活動するというのが、俺自身はあるべき姿だと考えている。

ゴミ拾いデモというスタイルなら、誰でもどこでも、簡単にできると思う。

全く関わりのない個人が1000人、日本中のいろんな都市で週末でも、平日でも、自分が都合がいい時に、近所で人がわりとたくさんいるところで、自分の主張をデクラス戦車に情報掲示しながらゴミ拾いしたら、1000人が一か所に集まって1回デモ行進するよりも、はるかに影響力があるのではないかと思う。

そういう意味で一人でも行動することの重要性を今日は訴えてみたいと思った。

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