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ぶっ〇した方が早い② 始まりの日

 前回

 前回の様に、議員へともすればサツヨコやテロの示唆とも取られかねない投稿をしても、インプレッションが死んでいるが故に炎上にもならなかった新橋九段。しかし、今度ばかりはわけが違った。

 東京都の若年女性支援事業における公金の使途を追求しているインフルエンサー、暇空茜氏が現れたのだ。
 個人を潰す為に議員会館を借りての提訴記者会見を一般社団法人colaboがしたこともあり、苛烈な攻撃を予想したのだろう。彼は『勝率五割あれば訴える』と方針を決めて自身への名誉棄損に対しての訴訟を起こすことにした。

 実際に2024年4月末現在、カンパが統一教会の金や迷惑系のコロアキをバスカフェに突撃させたという発言で共同通信社の桜ういろう、カンパに見せ金が含まれているという発言で熱海のあっつんという人物を訴えており、勝訴している。(2024年4月末、桜ういろうは控訴)

 その人物に対し、新橋九段はこの様な発言をしたのである。

 魚拓も残しておくぞ♡ 吐いた唾は飲み込めない。

 宮台真司氏という社会学者が襲撃されたのがcolaboの提訴記者会見(通称リーガルハラスメント会見)と同じ日だったことに、何か思うことがあった人物への言及。本人は陰謀論の否定だと言っているが、それは通らない。

 なんと、そのあとに暇空氏の住所を見ようとしているのである。積み重ねとか物事の連動とか考えてらっしゃらない? 個人的にはこの喜多野氏の言うことはごもっともである。

 その後、colaboを支える会がぶっ〇のツイートをRTしてしまうというガバをやらかしたのは、あまりにも有名。先に暇空氏が支える会を提訴したのもあり、新橋は開示さえ通らないとイキリ散らかしていた。

 堀口英利という王者によりTwitterのCP開示がガバガバだったことが明らかになるのは、それからしばらく後のことである。(実際に訴えるなら何の問題もないのだが…)
 しかし魚拓取ろうとしたら既に誰かによって取られてるのは草。
 ねぇどんなキモティ? 開示が通って敗訴してどんなキモティ?

 この辺りからだろうか、LINEで詰めてもすっとぼけ出し、アイコンまで変えたのは。さすがにマズイとわかっていたのか、ならば謝罪して消すはずだが…。なんとも中途半端な男である。
 この行動の根幹にあるのは、前回何も無かったという負の成功体験だろう。前回も似たようにテロだろサツヨコだろと方々に言われていたのだが、あまりにも小物、インプレの死んだクソ雑魚ナメクジだったのが幸いした。議員のひよことなった赤松健先生には、こんな木っ端を訴える余裕もメリットもなかっただろう。

 民事訴訟、特に名誉棄損系は個人で訴えても赤字になるのが基本だ。企業ならば信用毀損などもあり、少しは変わるだろうが。そのため、新橋九段のような木っ端の雑魚は放っておいても大した被害がない、ただ見てはいけないような人が喚いているだけなのでいちいち対応したりはしない。もっと発信力のある人物によって行われていれば、する価値もあるのだが、新橋九段は本当に発信力がない。
 それゆえに見過ごされていたのを、自身が正しいから訴えられないと勘違いしたのだ。

 今回、暇空氏に提訴された人物の多く、弁護士や著名人以外のネット有名人がこの傾向にあると思われる。実際、桜ういろうも熱海のあっつんも初めて名前を聞いたレベルだ。あっつんは別のとこで聞いたかなどうだったかな、レベルの存在なのは確かだ。

 暇空茜の登場により、新橋九段の幻想はたやすく喪失した。訴えようと思えば訴えられる。ただ新橋九段にはその価値さえなかったというだけのことだ。

 新橋九段は弁護士に相談したと言っていたが、その弁護士は大丈夫なのだろうか。一般読者の注意と読解力によれば、これは明らかに『暇空茜を黙らせるのならば住所も割れてるしぶっ〇した方が早い』と発言している様にしか読めないのである。
 これ単体を切り出した場合でもそうなるのだ。晒されている住所を見ようとした事実も加味するとどうなるだろうか。
 その弁護士は裁判沙汰はもちろん、開示も通らないと言っていたそうだ。しかし現実は、敗訴である。公的な記録に『ぶっ〇した方が早いで負けた男』という恥の殿堂が建立された。

 この事件は果たして、民事で済むのだろうか。三菱重工爆破事件という痛ましい事件を契機に日本では他者へ危害を加える宣言が重く見られるようになった。また過去には小学校で小女子(魚のこうなご)を焼き殺すと書いて逮捕された例もある。
 よく報道される予告書き込みの逮捕では対象が学校など、公共施設であることが多い。法律として同じ違法行為でも企業や法人などを対象に行うと、営業が止まった時の損害などが大きく、個人に対して行った場合より刑罰が重くなるらしい。
 しかし、個人が対象であってもこの書き込みはどうなるだろうか。

 奇跡的に民事で済んだとしても、これを負の成功体験として、同じようなことを公共施設に行えば、それこそ取返しがつかないことになる。
 愚者は経験に学ぶというが、最近は経験から学べない愚者未満もよく目にするので心配なところだ。

 我こそは歴史から学べる賢者である、と自負するのであれば、この一件を他山の石としていただきたい。

次回。


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