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私は、私のような生き物なので、

「絶対に許さない」
とか、呪いみたいだ。

去ってゆく背中に、
悪意なく投げつけられた言葉に、
そう呟いたこともあった。

「絶対に許さない」

呟く度に棘が刺さる。
その痛みを無視した。

「絶対に、なんか、無理なのに」

そう思うとかつての自分は哀れだ。

だけど、

そう思うのも間違いなく自分だった。

身体中に食い込んだ棘に、生臭い血を流しながら、呪詛を吐く。

その呪いは、何より自分を縛り付ける。

それでも、泣き叫ぶように。

そうでしか、あれなかった。

「絶対に、なんて、無理だから」
だから、そんなふうに自分を縛ることはないと、何より自分に言い聞かせているのは、まだ、その呪いを手放せないから。

感触を忘れた過去なら、或いは、遠大な距離の隔絶があるなら、それは、哀れな思い出として、慰めることもできる。

けれど、

現在進行形の事象に対して、その憐憫がうまく機能してくれない。

そうして、私は、また、同じことを繰り返すのだ。

もう、いい加減にしたいのに。

「いきづらそうだね」

行き辛い、
生き辛い、
息辛い。

彼が言う。
その諦観を自分のものにできたなら。

針は足を刺さないでしょう。
茨は腕に絡まないでしょう。
肺は楽に酸素を取り込めるでしょう。

でも、

私は彼に笑みかける。

「私は、私のような生き物なので、
私のようにしか生きられない」

例えば、それが、私を苦しめるだけだとしても。

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