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最後のホモ・サピエンスはきっと野郎で温もり不足で死んでゆく

「国際環境保護局の報告によると昨夜、保護していたホモ・サピエンスの番の雌『イブ』が死亡したとのことです。この番に子はなく、雌の死亡によりホモ・サピエンスの自然繁殖は不可能となりました。保護局は、今後、残った雄『アダム』と手元にある研究用の生殖細胞を使用した人工繁殖を試みるとの方針を明らかにしています。では、続いてのニュースです。」

 特に信心深いわけでもないけれど、『アダム』が最初の人間の男の名前だということくらいは知っている。
 皮肉なものだと思った。
 おそらく自分は、最後の人間の男で、最初の『アダム』は『イブ』と子どもを作ったけれど、自分は最後の『イブ』と子どもを作ることは叶わなかった。
 もしかしたら、自分も『イブ』も子どもを作ることを望んでいなかったのかもしれない。
 自分たちは最後のホモ・サピエンスとして檻に入れられ、飼育され、食事の回数、排泄の回数、『イブ』の排卵に合わせた繁殖行為、すべての行動が規定され記録されていた。
 そんな自分たちに子どもができたら?
 繁殖の成功例としてこの世に生を受けた瞬間から、衆目に晒されるだろう。それでも、自分たちの生きている間は親子として過ごせる。
 だが、自分たちが死んだら、どうなる?
 子どもは孤独のうちに、飼育される。食事も、排泄も記録され、生殖細胞の提供を余儀なくされるだろう。今の自分のように。いいや、今の自分よりも酷い状況に置かれることは目に見えていた。
 彼、または彼女には番となる人間はいない。他人の温もりを知ることができないのだ。
 それは、あまりにも悲しい、
 悲しい。
 自分はそれを望まない。そんな話を『イブ』としたことはなかったが、『イブ』も同じ気持ちだったかもしれない。

 神は願いを叶えてくれた。
 自分から『イブ』を奪う形で。

 『イブ』を再現した『何か』が檻に入れられる。その『何か』は裸だった。
「ナグサメテアゲマショウカ?」
 『イブ』の声で、『何か』が尋ねる。その手が自分の手に重ねられた。細く、白い指だった。首を横に振ることで言葉に応える。
 血が巡らない。
 ごめんね、君ではないんだ。
 どれだけ緻密にその顔を、声を、熱を再現されたところで、冷たい。
 冷たいんだよ。

 柔らかく微笑んだ顔を、穏やかに耳に届く声を、重ねた手の温かさを今でも鮮明に思い返すことができる。
 『イブ』、君の温もりが恋しい。

「国際環境保護局は、最後のホモ・サピエンス『アダム』が死亡したと発表しました。番の『イブ』は二十年前に死亡しており、その後、人工繁殖が試みられていましたが、一度として成功することはありませんでした。『アダム』の死亡によりホモ・サピエンスの絶滅が確定しました。では、続いてのニュースです。」

「ねぇ、聞いた?」
「何?」
「最後のホモ・サピエンス、死んだんだって」
「そんなことより、腹減ったから、飯でも食いに行こうぜ」

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