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⑪ 典型的な虞犯少年 守護和雄(19)

犯行内容と逮捕日

守護和雄(犯行時19)は小学五年生の時に両親が離婚し、家の金を盗んだり家出を何度もしたりして少年教護院(今の児童自立支援施設にあたる)に入院し、退院後は馬車引きや炭鉱夫などをしたが、長続きせずに北海道の各地を転々としていた。
昭和23年3月6日に小樽駅の待合室で共犯者となる佐藤茂(成人)と出会った。
守護から「以前、服を買ったことのある空知郡滝川町の一人暮らしの老女が、お金を貯めこんでいるから強取しよう」と持ちかけ、佐藤がこれを了承し翌7日早朝に犯行を決行した。
7日早朝、暴行のタイミングが中々訪れず、日が昇り明るくなり始めたので、ついには「殺してしまおう」と申し合わせ、被害者老女を手拭いで窒息死させ、金品を奪った。
事件の発覚は二日後の9日で配給を知らせに訪れた近所の女性が遺体を発見し、びっくりして滝川署に届け出た。
現場の状況から物盗りとして捜査が開始された。
全道手配されたが、同月11日に森町の旅館で主犯の守護が、翌12日の午前5時頃に倶知安駅で共犯の佐藤がそれぞれ逮捕された。【北海タイムス昭和23年3月10日と12日】

※【北海道新聞昭和23年3月13日】では11日に佐藤が旅館で、12日に守護が列車内で逮捕と記してあり主犯も佐藤と記されている。
守護は本件前に二件の窃盗事件を起こしている。
【刑資56号上】

刑事裁判資料56号上

裁判で死刑確定。そして恩赦

昭和23年9月27日 札幌地裁 死刑
昭和24年2月8日 札幌高裁 死刑
昭和24年5月17日 上告取下げ
【刑集37巻6号】

※佐藤は上告棄却で確定

おそらく恩赦を期待し上告を取り下げたと思われるが、被害者が一人なのと守護の年齢などが理由か、昭和29年1月15日に佐藤共々恩赦が決まり無期懲役に減刑された。村野氏著書【日本の死刑】
余談になるが、【日本の死刑】のP131の『恩赦により減軽された死刑囚の表』ではM(もりご?)だが【刑集37巻6号】ではS(しゅご?)になっている。この年代の死刑囚は読み方が不明な者が多い。

※【刑資56号上】に男二人の写真が載っているが、どちらが佐藤でどちらが守護か不明。写真掲載の新聞は未発見




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