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⑯ 妻に逃げられ自暴自棄 大谷欣完(19)

一家4人を惨殺した事件

事件は福島県石城郡高久村、昭和24年6月3日の深夜。大谷欣完(19)は叔母の家に忍び込み夫婦と子供二人(二人とも男の子)を短刀でメッタ刺しにして一家四人を殺害した。金品を奪う目的だったとされているが、本人は否定している(実際に何も奪えていない)
【最高裁判所裁判集刑事49】略称は集刑
子供まで躊躇なく殺害し、血を洗い流し一度現場を離れてから再び死んでいるのを確認するために戻ってきている。
大谷には年上の妻がいて妊娠10ヶ月の身重だったが、関係がうまくいかずに、妻は逃げ出し秋田の実家に逃げ帰っていた。(新聞では姿が見えない妻も共犯か?と疑われていた。気の毒)
大谷は自殺するために彷徨ったが死にきれずに同月6日に逮捕されている。(右の内腿には自らが刺した2cmの傷があった)
【昭和24年6月8日福島民報】【昭和24年6月8日読売福島版】

自暴自棄の末に

「俺は妻のために生きてきた。逃げられて嫌になったからこうするより仕方がない。世間がなんと言おうと俺には俺の行く道がある」「世の中の人よ恨むなら恨め」
などと書かれた遺書のようなものが発見されている。
大谷が妻との間にどのような事があったかは詳しくは書かれていないが、身内から不良青年と呼ばれ距離を置かれ知人に借金があったようなので、それが原因で妻は実家に逃げたと思われる。
『自分自身がうまくいかないから他人を困らせてやろう』という動機は殺人事件ではたまにあるが…
【昭和24年6月8日福島民報】

福島民友49.6.8

裁判

昭和25年4月5日 福島地裁平支部 死刑
昭和25年12月25日 仙台高裁 控訴棄却
昭和26年7月6日 最高裁 上告棄却
【刑集37巻6号】【昭和25年4月6日読売福島版】
【昭和25年4月6日福島民友】
【集刑49】

※大谷は死刑執行されたが執行日は不明


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