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㊲ 極貧で育ち三人強殺 松本二三男(19)

あまりにも短絡的な犯行

事件は昭和43年12月28日夜、栃木県那須郡烏山町の呉服屋で一家三人が裁鋏を分解したもので刺殺され金品を奪われる強盗殺人事件が起こった。
タンスから指紋が検出され、全町民のアリバイを調査するなどの捜査の結果、事件は翌年1月9日に東京で松本二三男(19)が逮捕されて解決をした。
その犯行動機は「東京の姉の家に行く時に着るきれいな服がない。持参する土産物を買うお金がない」というものだった。
松本はこの呉服屋を以前利用したことがあり顔見知りだった。
凶器は那珂川から発見され、松本の家からは盗んだものと思われる宝石も見つかった。
【刑資213】【昭和44年1月11日読売栃木版】
【昭和43年12月30日読売栃木版】
※【刑集37巻6号】では犯行日が昭和44年1月3日になっているが、事件発覚時の新聞記事や「正月に姉の家に行くための服代」という動機から新聞報道が正しいと判断しました。

極貧で育った幼少時代

松本の父親は3歳の時に家庭を捨てて愛人の元に行き音信不通になり、残された母や姉兄らと電気も水道もない掘っ建て小屋で、母は農家の手伝いなどをして日銭を稼ぎ寒さを凌ぎ生活をしていた。
子供たちが山で山菜を取り、川で魚やタニシを取って食べ20円のうどん1玉を家族で分け合う日もあった。
姉兄らは独立しそれぞれ働きにでて、二三男も中学卒業後に東京の会社で住み込で工員として働くが給料に不満があり、職を転々とし昭和41年9月頃に以前勤めていた会社の寮に侵入し金品を盗んだ事件で保護観察処分になり、栃木の母が住む家に戻ってきていた。
昭和43年10月、母は姉の引っ越しの手伝いに東京に行きそのまま戻らなかったが、同年12月25日に帰省してきた兄の「正月に姉の家でみんなで過ごそう」との誘いに、先に記した通りの動機が芽生え強盗殺人という罪を犯してしまった。【刑資213】【法令ニュース】
(自身も母と同様に姉の家に転がり込みたかったのか?)

下野新聞70.11.12

貧しい環境にも触れられたが死刑判決

昭和45年11月11日 宇都宮地裁 死刑
昭和46年6月14日 東京高裁 控訴棄却
昭和46年8月17日 上告取り下げ
【刑集37巻6号】【昭和45年11月12日下野新聞】
弁護人の生育環境からの社会適合性欠乏症による心神耗弱の主張は専門家の鑑定で「やや認められるが善悪の判断がつかないほどではない」とされ「計画的犯行で残忍」との理由で一審死刑判決が下された。
尚、単純な強盗殺人での少年死刑囚は松本を最後に50年以上出ていない。
上告を取り下げた少年死刑囚も松本以降一人もいない。

※この事件がきっかけとなり貧困家庭の調査が本格的になった。

※松本二三男の死刑執行日は不明


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