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㉜ 雇い主一家3人強殺 小山輝夫(19)

犯行動機

神戸で育った小山輝夫(19)は中学卒業後は酒造会社に勤めたが、酒に溺れ小遣いを注ぎ込むようになり、金員に窮し同僚名義でクーポン券で買い物をしていた事がバレて退職。
その後は被害者となる神戸市の自動車修理工作所で見習いとして働き給料の半分は母親に預けていたが、足りなくなるとせびる事を叱責され、知人などに借金をするようになった。それでも足りずに窃盗を繰り返し、盗品を質屋に入れても立ちいかなくなり、雇い主の妻を脅して金員を得ようという考えに至った。(多様性がなかった時代、パチンコ代や酒代で身を滅ぼす少年が多い…)
【下刑3巻4号】

事件発生

予てから機会を伺っていたが、昭和33年8月7日深夜、ロッカーに隠していた短刀を持ち寝室に侵入し気がついた主人と一刺し、更には横で寝ていた妻も同様に刺し二人を殺害。物音で起きてきた主人の母も同様に刺殺して金品を奪い逃走した。現場の状況からすぐに小山の犯行と断定し手配書が配られた。(犯行が未成年者と特定されていて手配書の顔写真を公開されるケースは近年では滋賀で19歳の現職警察官が上司を射殺した例がある)
【下刑3巻4号】【昭和33年8月9日神戸新聞】

逮捕時に群衆に囲まれる

小山は犯行後に近くの川で血を洗い流し、列車で広島に入り、その後に長崎に向かう列車の中で自分が手配されている事を知り、一度小倉まで行ったが同月12日に三宮まで戻り父親の勤め先で犯行を打ち明けて自首を勧められたので同日夜7時過ぎに三宮派出所に自首をし逮捕された。
この際の写真が新聞に掲載されているが、三宮駅のまわりは群衆であふれかえり電車も一時ストップしたと報道されている。(こういう感じは昭和っぽい)
【昭和33年8月13日神戸新聞】

神戸新聞58.8.8夕

裁判で死刑が確定

小山は起訴されたあとは徐々に改心し、精神鑑定では普通人と心神耗弱の中間で責任能力は有りとされた。
新聞の見出しは「改心もう遅い」とされ、判決の瞬間にガクリと崩れた様子も書かれている。
「鬼神も避ける残虐な犯行」として神戸地裁で死刑判決
【昭和36年3月27日神戸新聞夕】
小山は道路交通法違反の罰金刑の前科がある
【下刑3巻4号】

昭和36年3月27日 神戸地裁 死刑
(別件の窃盗7件には懲役1年)
昭和37年5月28日 大阪高裁 控訴棄却
昭和38年2月8日 最高裁 上告棄却
昭和38年2月28日 判決訂正申立棄却
【集刑146】【刑集37巻6号】【昭和37年5月28日神戸新聞夕】【昭和38年2月8日神戸新聞夕】

大阪高裁で死刑廃止論者の裁判官が「死刑は廃止すべきもの」と前置きした上で「生命軽視で極悪非道の犯行で死刑もやむを得ない」と述べている。

※小山輝夫の死刑執行日は不明

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