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㊱ 結婚詐欺殺人 笹沼充男(19)

生い立ちと被害者との出会い

笹沼充男(19)は5才の時に父親が愛人を作って蒸発し母親も他の男と同棲生活の貧困で準保護家庭で育った。
小学校卒業後は住み込みとして各地を転々としてやがてはバーや喫茶店でのボーイなどをして生計を立てるようになったが、その時に知り合った女性A子と同棲をしている。
笹沼は他にもあやしい会社でセールスマンとして働いたりもしたが、水商売で覚えた話術だけは自信があったようだ。
美容師のY子(28)とは昭和41年8月頃に喫茶店で出会った。笹沼に気があるY子が自分の店を出すために相当なお金をため込んでる事を知り、いい金づるとして利用しようと企んだ。
【刑資213】

結婚を迫られ疎ましくなり

笹沼はY子に三浦(25)と名乗り実家は日光で旅館を経営していて資産があるという話をし、体の関係を結び、結婚を意識させ信用させ、あの手この手で金をせびり(約33万円)、かねてから同棲していたA子と経営している飲食店の資金に充てていた。
同年11月頃からはY子が「茨城の実家に一緒にいってほしい」とか「渋谷に叔父がいるから会いにいこう」など頻繁に言うようになった。
笹沼は「取れるだけ取って縁を切ろう」と思い、「日光の叔父の土地にガソリンスタンドを作る。安く土地が手に入る。余った土地に美容院を作れる」と騙し、翌年1月には「一緒に日光に行こう」と更に土地代として数十万円を騙し取った(Y子は知り合いに借金をした)
「日光にはいついくの?」とY子から強く迫られ、昭和42年1月26日夜、「日光に行こう」と待ち合わせをし車を走らせ栃木県に入った山道で車を止めた。
…ら「全て嘘だ。行くところなんてない。」と打ち明け、「私をどうするの?殺す気?!」と大声をあげたY子の首を絞めて殺害し、金品を奪い遺体を玉川上水に投げ捨てた。遺体の身元が判明したのは同年6月13日だった。
笹沼は有力容疑者としてマークされ同月14日深夜に同棲相手のA子と帰宅した所を逮捕された。
【昭和42年6月14日読売新聞】【刑資213】

一審判決後に脱走

笹沼は一審無期懲役判決後に検察官が控訴した際に、「控訴されたからどうせ死刑になる」と実弟(16)に特殊なインキで書いた手紙のやり取りの中で本の背表紙に金ノコを忍ばせ差し入れを指示した。
昭和43年4月8日未明に八王子拘置支所5階からシーツと毛布を破いて繋ぎ合わせ映画さながらの脱走し、同日に以前同房だったSの家に行った所を刑事に逮捕された。少年死刑囚の脱獄は中島英蔵がいるが笹沼が2例目。
(実弟も逃走幇助で同月9日に逮捕されている)
【昭和43年4月8日~10日読売新聞】

朝日新聞67.6.14

二審で逆転死刑で確定

昭和43年2月7日 東京地裁八王子支部 無期懲役
昭和44年5月13日 東京高裁 破棄自判 死刑
昭和45年8月20日 最高裁 上告棄却
昭和45年9月16日 判決訂正申立棄却
【刑集37巻6号】【集刑177】【刑資213】
【昭和44年5月13日読売新聞夕】
【昭和45年8月20日読売新聞夕】

控訴審で死刑判決の理由に「犯行の手段、方法は大人顔負けで未成年だからと言って情状酌量の余地は全くない」「被告人の親族や同棲相手のA子からは金銭的賠償や墓参りなどは全くされていない。被告人も被害者の冥福を祈り反省後悔してる実があるとは窺われない」と記されている。笹沼の生母が情状証人の出廷を拒否した事も付け加えておく。

※笹沼の死刑執行日は不明










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