㉖ 遊ぶ金ほしさに 山野井鴻志(18)
18歳の凶行
北海道千歳町の山野井鴻志(18)は7歳の時に父を亡くし、母親が女手一つで育て、中学卒業後は米軍キャンプでボーイをしながら、夜間に定時制高校に通っていた。
しかし、母親が鴻志を信用して干渉しないのをいいことに、同僚からギャンブルを教えられ、映画やパチンコに金を浪費するようになり、高校は除籍されとうとう盗んだ盗品や家のものを隣家の質店に入れて金を得るようになった。
この質店が山野井が襲撃した質店になる。
昭和29年11月27日夜9時すぎに棍棒を持って待ち伏せし店の入り口に出てきた主人を撲殺。更には茶の間に侵入して妻も同様に殺害。次男も同様に殴り付け瀕死の重傷を負わせ、通帳や印鑑が入っている金庫を奪い、長靴に履き替え、二人組に見せかける偽装工作までして逃走した。【判時85】
事件から11日目に逮捕
山野井が逮捕されたのは事件から11日目の昭和29年12月7日。聞き込み捜査から『金に困っている者』、『事件当日のアリバイがあやしい者』2~3人に的をしぼり、そのうちの一人だった山野井が自供し逮捕された。
なお、鴻志の兄も金庫を一緒に屋根裏に隠したとして犯人隠匿の疑いで取り調べを受けている(処分不明)
【昭和29年12月8日北海道新聞】
一審無期懲役から逆転死刑判決
事件当時山野井は18歳4ヶ月だった事や生い立ちや環境を量刑の理由として一審は無期懲役判決だった。
【昭和30年3月9日北海道新聞】
検察は控訴趣意で昭和22年~23年の少年に死刑判決が下った事件を上げ「少年といえど、犯罪の凶悪姓から死一等は減ずべきではない」と主張し、裁判長は「残酷で社会に与えた影響は大きい。犯行当時18歳4ヶ月の被告人の知能や体格の発育は優秀であり、精神状態になんら異常は見られない。二人の生命を奪ったことは断じて許されない」と死刑を言い渡した。
【昭和31年8月8日北海道新聞】
昭和30年3月9日 札幌地裁 無期懲役
昭和31年8月7日 札幌高裁 破棄自判
昭和32年8月30日 最高裁 上告棄却
昭和32年9月25日 判決訂正申立棄却
【集刑120】【刑集37巻6号】
担当の弁護人は熱心
上告趣意で18歳を4ヶ月過ぎただけ、少年のまわりの環境にも問題があるから少年一人に罪を被せるべきではないという主張から、約300年前の『八百屋お七』の話まで持ち出したが棄却され死刑が確定した
【集刑120】
山野井は後に死刑執行された(日付不明)
※八百屋お七は当時、放火した少女が15歳か16歳かで火あぶりの刑になるかどうかだったが絵馬に書かれた年齢で16歳と認定され刑を執行された約300年前の事件
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