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山小屋襲撃犯は未成年か?斉藤和一

事件の概要

昭和21年7月9日夜11時頃。長野県北安曇郡平村で東京の大学から登山に来ていた登山部の4人が山小屋で就寝中のところを香川義春(24?)と斉藤和一(年齢不詳)が襲撃し、2人を殺害し2人に瀕死の重傷を負わせ、所持品を奪って逃走した事件。
辛うじて逃げた学生の一人が一町ほど先の民家に助けを求め、大町警察署に通報し、日付が変わった10日の零時過ぎに所轄の署員が現場に急行する途中で香川と斉藤を発見し、職務質問であっさりと犯行が発覚しスピード逮捕となった。
香川と斉藤は共に復員し、香川が広島から神戸に流れてきて斉藤と出会い、登山に興味がある香川が斉藤を誘い長野まで来たが、装備や食料などはなく、斉藤に至っては風呂敷を持っていただけだった。
そして途中の畑で馬鈴薯を盗み、事件の山小屋にたどり着いたが、じゃがいもしか持たない二人は大学生と食事をするのが気まずく別の小屋でじゃがいもを焼いて食べたあとに、食料を沢山持参してる学生を襲って奪い取ろうと企て、夜になり学生が就寝している小屋に戻り凶行に及んだものだった。
【信濃毎日昭和21年7月11日】【長野県警察史】

裁判と死刑執行

昭和21年11月28日 長野地裁松本支部 死刑
昭和22年8月11日 東京高裁 死刑
その後に上告取下げで死刑が確定した。
(共犯の香川も死刑が確定)
昭和23年7月13日 香川と共に死刑執行
斉藤は父親と一度面会しただけで、執行後に遺体の引取を電報にて二回送ったが音信不通だったので大学に献体された。
【長野県警察史】【GHQ文書が語る日本の死刑執行】

斉藤和一の年齢は?

斉藤の年齢は犯行時19歳だった可能性が一番高いと思われる。昭和24年頃までは新聞の年齢表記は数え年表記で翌年に新しい法律により満年齢表記になった。
確かに手元の資料でもこの時代の他の少年死刑囚は満年齢プラス1~2歳で表記されている。
斉藤和一は信濃毎日新聞では(21)となっていた。警察資料でも同じく(21)。その警察資料に掲載された事件から1年4ヶ月後の東京高裁の判決文では(当20歳)になっていて、ここまでなら犯行時19歳でよさそうだが、問題なのはGHQ資料の死刑執行始末書。
斉藤の生年月日が「1922年8月8日?」になっており、そうすると犯行時が23歳になってしまう。
(香川の生年月日が同資料では1923年3月5日になっており、斉藤が年上になってしまう)
少年死刑囚事典でも多くを参考にした【刑集37巻6号】では事件日違いで成人が少年死刑囚になっている。
また刑事裁判資料に登載された水尻隆幸の判決文の生年月日に誤記載があるという事実もある。
罪を軽くするために偽名や年齢を偽るケースも見受けられる。
どれが確実かは判断しかねるので少年死刑囚リストからは除外した。
※何か情報をお持ちの方はご一報くださると有り難いです。

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