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㊳ 歪んだ性欲 菅野純雄(19)

生い立ち

宮城県の菅野純雄(19)の幼少期は農家の両親が多忙で、純雄を溺愛する祖父に任せ殆ど接触もなく、また純雄は友人と遊ぼうとせずに祖父だけが唯一の保護者でもあり、友人のような関係であった。
小学二年の時にその祖父が急死してからは塞ぎこみ、病気がちで友人も作らずに孤立していた。
高校も受験に失敗(兄が通う高校を希望)し、別の高校に行ったが、劣等感から内閉的、抑うつ的になりサボるようになった。
【刑月3巻1号】

歪みだした性

菅野は学校をサボり街をぶらつき、ピンク映画や性関連の雑誌に強い関心を示し、昭和41年10月に家出中に小6の女児に対する強姦致傷事件を起こし、保護観察処分になっている。
その後に高校を中退し職を転々とし、薬を飲んで自殺未遂をするなど、かなり精神が不安定な生活をしていた。
この頃には親からも見放され、日々の欲求不満を女性と関係する事で解消しようという思いが強くなり、昭和43年7月頃から女子生徒を狙い後をつける(裁判では二人の後をつけた事になっている)などの行動をしていた(この時は機会を逃し未遂だった)
【刑月3巻1号】

ついに犯行決行

菅野は昭和44年8月31日に仕事に行くと言って弁当を持って出たが、街をぶらつきピンク映画を観て時間をつぶして帰宅をしたら、母に怒られたためにそのまま家を飛び出した。
菅野は仙台に行き翌日の9月1日は朝から本屋で性関連の雑誌などを見たあとにヤクザ映画を見てすごし、ピンク映画の強姦場面とヤクザ映画の殺傷シーンに刺激され、かねてからの女性と関係したいという思いが強くなり、「殺してから関係しよう」と考え事前にナイフを購入し、電車で山元町まで行き女性を物色した。そして午後7時頃に帰宅途中の被害者女性(20)に目をつけ、尾行し人気がない所で背後から襲いかかり、背中を何度も刺し、仮死状態となった被害者と姦淫し、出血多量で死亡させ逃走した。【刑月3巻1号】

逮捕

菅野は逃走する際に肥溜めに落ちて服を脱ぎ捨てパンツ一枚になり民家の物置に隠れたが、9月3日に空腹と暑さで飛び出した所を住人に発見され捜査本部へ通報され近辺を捜査中の捜査員に見つかり逮捕されている。事件から37時間後のことだった。
「チクショーチクショー」とつぶやき、取り調べの際はカツ丼を飲み込むようにたいらげて水も一気飲みした。この際の地方紙の新聞報道では実名の記載もなく顔写真も掲載されなかった。※河北はうしろ姿、朝日宮城版はうつむいた黒い人影の写真掲載。
【昭和44年9月4日河北新報】

裁判は一審無期から二審で逆転死刑判決

殺人、強姦致死1
昭和46年1月28日 仙台地裁 無期懲役
昭和46年8月2日 仙台高裁 破棄自判 死刑
昭和47年6月27日 最高裁 上告棄却
【刑集37巻6号】【昭和46年1月29日読売宮城版】
【昭和46年8月3日河北新報】
【昭和47年6月28日河北新報】
一審では「家庭環境にも問題があり反省の情もある。もう一度更正の機会をあたえる」として無期懲役判決だった。検察は量刑不当、弁護側は心神喪失か耗弱状態だったと双方控訴したが、検察側の主張が全面的に認められ「事前にナイフを購入するなど計画性があり社会的に影響のある残忍な事件で一審は軽すぎる」と死刑を言い渡した。その後上告も棄却され死刑が確定した。

昭和51年に菅野純雄の死刑は執行された。
【日本の死刑】

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