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⑳ 身代わりになった少年 坂本登(19)

坂本登の生い立ち

「お母さんはこれ以上生きれそうにない。お兄ちゃん、お前以外に家には頼る人はいないんだよ。分かるね。弟と妹をなんとか育ててくれるって約束してくれるかい。」
終戦まもなくの満州、坂本が14歳の時に母はこう言い残し亡くなった。父もソ連軍に呼び出されシベリアで行方不明になった。
14歳の少年にはあまりにも重くのしかかった現実。
坂本は妹の世話を一所懸命したが、妹も栄養失調で亡くしてしまう。【天国への凱旋門】

連続殺人鬼古谷惣吉と出会い

坂本登(19)は奉天から福岡市に引き上げた時に刑事と称した古谷惣吉と出会う。そこで金を持ってる男がいるから奪おうと持ちかけられ、これに乗じ1951年5月15日(西日本新聞では16日)に福岡市中比恵(犬飼との報道もあり)で40歳の男性殺害し5月24日に遺体が発見され、同年6月3日に八幡市内幸ノ上(引野山ノ神との報道もあり)で70歳男性を金品を奪い殺害し6月10日に遺体が発見されたが二人は逃亡した。
【天国への凱旋門】【刑集37巻6号】
【昭和26年5月25日朝日西部版】
【昭和26年6月11日朝日西部版】
【昭和26年7月28日西日本新聞】

坂本登逮捕

坂本登は1951年7月27日午後7時頃に5月の福岡市のバタ屋殺しの件で逮捕され自供。
同月30日の朝に八幡市の事件も坂本の犯行と判明した。
【昭和26年7月28日西日本新聞】【同年7月31日夕刊新九州】

共犯者逃亡中のまま死刑確定

共犯者(古谷惣吉)が逃亡中も坂本が主犯とされ死刑が確定した。
昭和26年11月7日 福岡地裁 死刑
昭和27年4月9日 福岡高裁 控訴棄却
同年同月19日に上告し2日後の21日に取下げ
【刑集37巻6号】【昭和26年11月8日西日本新聞】
【天国への凱旋門】

西日本新聞51.7.28

死刑確定後

坂本は死刑確定後に荒れたが、事件前から手紙のやり取りをし面会や差し入れをしてくれた同級生の勧めで、キリスト教に帰依し徐々に改心していく事になる。
このあたりの話は田島氏の【天国への凱旋門】に詳しく書かれている。

坂本の死刑執行

昭和28年3月27日に坂本の死刑は執行された。
(免田さんの獄中ノートでは同年9月16日になっている)
坂本登は下記の言葉を最後に残して執行された。
「貴君にどうぞよろしく伝えてくれるように」
【天国への凱旋門】

その後、共犯者の古谷惣吉は1951年の事件で逮捕されたが、すでに坂本が執行済みであったために坂本に罪を被せ懲役10年の判決を受けている。
【昭和40年12月13日毎日新聞】
【刑集37巻6号】でも坂本が首を絞めて古谷が腰ひもで絞殺となっている。(坂本が首を絞めてる横から古谷が割り込んで腰ひもで殺害したの?)

この時に正しく裁かれていたら古谷惣吉が後に起こす独居老人8人殺害事件もなかったのだが…

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