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⑮ 冤罪?兄を庇った 古川高志(19)


少年の確定死刑事件を調べると、冤罪事件が一件。冤罪の可能性がある事件が少なくとも二件ある事が確認出来る。
古川兄弟が起こした強盗殺人事件はそのうちの一つ。
この事件は毎日新聞の「殺人犯人は兄なのだ!」という見出しで冤罪により死刑が執行されたという内容の記事に対し、最高裁判所が「時折新聞と雑誌等に実例として報道され一般人や学者も信じる傾向にある」「事後においてなによりも正しく事実を語るのは裁判記録」「正確な記録を残すことが司法制度の新しい発展のため」
として一つの事件だけを700ページ以上にわたる裁判資料にした【刑資115号】を発行した。
膨大な量のため全ては公開しきれないが、刑資115号を中心に事件を記す。

事件の概要

兵庫県赤穂郡矢野村で事件は起こった。
昭和22年5月23日23時頃に金員に窮した古川時夫(28)と古川高志(19)は強盗目的で集落の外れの谷間にある民家に侵入し、就寝中の三十代夫婦を気づかれたために斧で強打し殺害し衣類などを奪った。(数万円相当)
二人で話し合い、前日に高志が下見をする計画的な犯行だった。
また前年の9月25日に二人で共謀のうえ深夜民家に侵入して「金を出せ」と衣類(計千円相当)を奪う強盗事件を起こした他に、兄の時夫は単独での二件の窃盗事件でも起訴されている。凶器の斧は血痕が付着した状態で便所内から発見された。
同25日に近所の人が表戸が開いてないのでおかしいと思い戸を開けて中を見ると二人が変死していた。
翌日には現場や遺体の状況の鑑定がはじまり、聞き込み捜査も開始され、素行不良者や前科者なども洗われた。
同年6月13日に警官の聞き込み捜査で古川兄弟の犯行が有力となり逮捕状が請求され、翌日14日の早朝4時半に自宅にて二人が逮捕された。16日には勾留請求がされ本格的な取り調べが始まった。同月23日には検事から公判請求書が提出され9月1日に公判日9月15日が指定された。
【昭和22年5月26日神戸新聞】【刑資115号】
【刑集37巻6号】【実話ナックルズ09.9】
この事件の発生以降の記事は神戸新聞では見つけられていないが、死刑執行後の【昭和28年2月27日毎日新聞】で確認出来る。また【刑資115号】では発生から確定までの流れを詳細に知ることが出来る。先に裁判で死刑確定までの流れを記す。

昭和22年9月15日午前9時 初公判
昭和22年11月14日 神戸地裁姫路支部 死刑
(兄は無期懲役判決)
昭和23年7月20日 大阪高裁 死刑(兄は二審も無期懲役)
(同年9月9日に時夫は上告取下げで確定)
昭和24年5月10日 最高裁 破棄差戻し
昭和24年12月26日 大阪高裁で再び死刑
昭和26年2月2日 最高裁 上告棄却
昭和27年9月27日 実行犯は兄として再審請求
昭和27年11月22日 再審請求棄却
昭和27年12月25日 即時抗告棄却
【刑集37巻6号】【刑資115号】

兄を庇い死刑になった弟

この兄弟の家族構成は高志には母親と共犯の兄時夫の他に姉と弟がいる。(母親と姉は聴取され証人としても出廷している)時夫には二歳年下の内妻と5歳の長男がいる。
高志は検挙された相生署でとなりの房の兄に、小窓から「兄さんは何も知らないと言い張りなさい」といい、その通りに取り調べや裁判が進んだが、一審では高志が実行役で主犯で死刑。時夫は従犯で無期懲役と判決が下った。
まだ精神が未熟な若者が死への現実を受け入れられなかったのだろう。二審からは「実行役は兄で、私は見ていただけ」「斧を捨ててこいと言われ捨てただけ」と主張を変えたが、一度は最高裁で差戻しの決定がされたが昭和26年2月2日に上告が棄却され高志の死刑が確定した。
第一次上告審での弁護人の趣意書では物証が高志の白いズボンに人血が付着していたという証拠のみな点。部落会長の証人訊問出廷が認められなかった点、高志の生年月日誤記載の調書がそのまま二回目以降にも引用されている点など上げたが死刑判決は覆らなかった。
尚、高志は窃盗事件で昭和21年9月7日に懲役1年罰金参百円の判決言い渡しがあり同年10月26日から翌年4月28日まで神戸刑務所に服役している。【刑資115号】
【昭和28年2月27日毎日新聞】【実話ナックルズ09.9】

兄の後悔

時夫は二審公判時に下を向きうなだれたように小さい低い声で「弟がやりました」と証言をしたが、この時から後悔の気持ちが強かったのだろう。
死刑確定後に時夫は高志に「私がお前をさそい、殺したのは私だった」と手紙を書き、時夫の同房だった者が教誨師に「弟を助けてほしいと毎日訴えてる」と伝言してきた。
この時の手紙と同房の囚人の供述書などが再審の際に証拠とし提出され、強盗目的ではなく窃盗目的であったことも理由に再審請求書が提出されたが棄却され、即時抗告も棄却。その二ヶ月後に高志の死刑は執行された。
【昭和28年2月27日毎日新聞】【刑資115号】
【集刑10】【集刑40】

毎日新聞53.2.27

古川高志の最期の言葉

当日、教誨師、弁護人、姉に「私は下手人でなかったことを誓います」と刑場に消えた。
「私は立派に昇天します。しかし裁判所が二度と誤りを繰り返さぬように…」
昭和28年2月20日 死刑執行
【刑資115号】【昭和28年2月27日毎日新聞】
【日本の死刑】
※【日本の死刑】の年表では「吉川」高志になっているが誤記載だと思われる。

◆協力:折原臨也リサーチエージェンシー様






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