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㊴ 正寿ちゃん誘拐殺人事件 黒岩恒雄(19)

この事件は誘拐殺人事件として有名でネット上でも沢山発信されている。概要と当時の記事を簡素に振り返りまとめる。

正寿ちゃん誘拐事件とは

昭和44年9月10日の朝の渋谷区恵比寿、黒岩恒雄(19)は身代金目的で登校中の質店の息子(6)を大胆不適にも他の児童らが見ている前で、拉致し公衆便所内で「泣くから」との理由で小刀で殺害し、遺体を旅行バッグに入れて渋谷駅東横線の荷物預かり所に預け、身代金500万円を要求する電話(わずか30秒のため逆探知出来ず)をした。この時の音声は当時のニュース映像などにある。
翌11日の午前零時過ぎに一斉捜査中の所を、渋谷署付近にふらふら現れ不審人物として職務質問しようとしたところ逃げようとしたために取り押さえ、被害者の靴を持っていたために連行され自供し同日に逮捕された。
【刑集37巻6号】【昭和44年9月11日読売新聞夕】
【刑月4巻4号】

黒岩恒雄という少年

黒岩は長崎で生まれ5人兄弟の末っ子で両親はともに温和で母親が内職などをしながら裕福ではない家庭をささえ、円満な家庭環境で育った(少年死刑囚にありがちな生育環境とは違う)
性格は内向的だが運動が得意で東京オリンピックの聖火ランナーにも選ばれていた。
勉強が嫌いだったのか両親の勧めで高校に行ったが嫌になり、「手に職をつけろ」との言葉も気がのらず、父親の預金を勝手に引き出し10万円を持って家出し、職を転々としながら実家に戻ったが、この頃から非社交的な自分が映画スターのような人間になり、まわりを見返したいと思うようになり、女優を誘拐する妄想をするようになり、それをノートに書き出すようになっていた。
ふたたび家出し、東京でガソリンスタンドのホースや車両のタイヤを小刀で切り裂く器物損壊事件を起こし、質屋の息子に目をつけ本件に至った。
【刑月4巻4号】

当時の新聞や週刊誌

三大新聞(朝日、読売、毎日)では逮捕時には匿名、顔写真の掲載はなし。日経新聞だけが顔と写真を掲載し少年法の問題を提起。『都会の無関心』『どうやって子供を守る』『頻発する誘拐事件』というテーマが中心で記事が書かれている。
週刊誌では週刊女性が『またも19歳』の見出しで、週刊ポストが『19歳の殺人論理』の見出しでそれぞれ実名と顔写真を掲載し、週刊女性では「我が国の少年法では少年犯罪において本人の氏名、写真を公表しないように定めていますが、凶悪化する少年犯罪、誘拐事件が続発する中で特に凶悪残忍な犯行のために氏名、顔写真を公表しました。」とある。
1960年代後半あたりから現在の報道に近い形になってきたようだ(同時期の松本や菅野も逮捕時は匿名で写真掲載はなかった)

【昭和44年9月11日読売新聞夕】
【昭和44年9月12日読売新聞】
【昭和44年9月11日日経新聞】
【週刊女性69.9.27】【週刊ポスト69.9】

日経新聞69.9.11夕

現在の事件現場

黒岩が被害者を連れ込んだ公衆便所は約50年、そのままの形で残っていたが2020年夏ころに改装されて綺麗になっている。
渋谷駅東横の荷物預かり所は姿を消し、黒岩が事件前にうろつき一夜を明かした山下公園は名前も遊具も変わり事件時の雰囲気はなくなっている。

裁判

昭和47年4月8日 東京地裁 死刑
昭和51年7月20日 東京高裁 控訴棄却
昭和52年12月20日 最高裁 上告棄却
【刑集37巻6号】【昭和47年4月8日読売新聞夕】
【昭和51年7月21日朝日新聞】【刑資227】
【昭和52年12月20日読売新聞夕】
弁護人は性格異常や空想性、自閉性、情性欠如性などの鑑定書を提出したが、責任能力には問題がないと判断された。
※読売では死刑が確定した時に実名と写真の掲載があった

黒岩恒雄は昭和54年に死刑が執行された。
【日本の死刑】




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