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鎌倉であった15歳少年の強盗殺人

鎌倉といえば海があり、小町通りには様々な店舗が連なり、東京からも近いことで人気の観光地であるが、旧石器時代の遺跡の発掘や鎌倉幕府時代に建てられた有名なお寺が多数あり、横須賀線の開通にともない歴史や自然に囲まれたこの地は別荘も建ち、作家や文化人なども生活する場として発展していった。
そんな環境の中で起きた15歳による強盗殺人事件という珍しいケースを記したい。

鎌倉ブース氏夫妻強殺事件

昭和32年1月29日早朝、材木座の海辺にあった親日米国人ブース氏宅の離れに住んでいた女中が寝室で血を流して布団の中で絶命している夫婦を発見しびっくりして鎌倉署に届け出た。
駆けつけた署員が荒らされた室内を調べたところ、空になった財布5個やハンドバッグが散乱していた。
裏のガラス戸が外された形跡があり犯人はここから侵入したと見られ、またすぐ近くの海中1メートルからは肉切り包丁が発見され、遺体の状況からこの包丁が凶器の強盗殺人として捜査が開始された。

ブース氏

ブース氏は親日として知られ、両親はフェリス女学院の校長と副校長をつとめ、自身は2歳で来日し16歳で一旦渡米したが、再来日し米国籍を取り様々な会社に関わり、また子供が好きで材木座幼稚園(現在は閉業)の創設に尽力。
敵国人と陰口を言われながらも鎌倉観光協会と進駐軍の間に入ったりもして鎌倉市の発展に大きな貢献をした人物だった。
英国人の妻がいたが別れ、日本人女性と内縁関係になり事件現場で暮らしていた。葬儀には沢山の人が訪れて涙を流したことからブース氏の人柄が伝わる。

犯人は少年だった

事件発生時は地元の不良グループによる複数犯説やブース氏に借金していた家族が一時居場所がわからなかった事から犯人の的は絞れないでいたが、事件から3日後の2月1日の京都でねずみ色の大きなスーツケースを持つ不審な少年を職務質問したところ、ケースの中からフレンチコートや50万円相当の貴金属(150万とする記事もあり)、血のついたズボンが出てきたために追求。
すると体をガクガクと震えさせて「鎌倉で人を殺して宝石を奪った」と自供したために逮捕となった。

逮捕された少年K

少年はKで逮捕された日が16歳の誕生日だった。
犯行後は一旦横浜に出てから列車で西へ向かい大阪や京都の旅館などに泊まり映画などを見てすごしていたが、貴金属を持っていることに怖くなり京都駅を彷徨っているところを職務質問された。
Kの両親は鎌倉の小町で商売を営みKも手伝いなどをしていたが、男兄弟6人(Kは三番目)で放任主義のため野放し状態で、家出や窃盗を繰り返し、小・中学校や市役所から現金を盗んだ件で家庭裁判所で審判中の身での犯行だった。
また犯行の二日前に家出をしていたが、両親からは家出人の届け出は出されていなかった。
学校では目立たない存在だったが、運動神経だけはよく、長所を伸ばせるように体操などを勧め指導したと当時の学校関係者は証言していた。
2月3日の早朝5時半に鎌倉に護送され取り調べで同日午後2時に地検に送検された。

15歳だから死刑に出来ない

昭和32年8月20日横浜地裁
Kの判決公判が開かれ、求刑どおりの無期懲役の判決が言い渡された。(少年法第51条、犯行時18歳未満の者について死刑をもって処断すべきときは、無期刑を科する)
「家出し盗みを繰り返し、悪が悪を生む状況になっている。情状に酌むべき点はなく、成人なら死刑以外に考えられない」
Kはガックリとうなだれて退廷していった
弁護人は「少年に無期は重すぎるから控訴したいが、被告人は刑を受け入れるつもりらしいので両親と相談して決めたい」と述べた。

※この時代は16歳以上が逆送可能だが犯行時ではなく処分決定時も含まれる

【読売京浜昭和32年1月29日夕~31日、2月3~4日】
【読売京浜昭和32年8月21日】
【警察指紋制度のあゆみ】

※おそらく控訴せずに確定したと思われます


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