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殺人前科 二度目の無期 更正しない男

少年時の最初の犯行


昭和31年11月15日、山梨県南巨摩郡身延町で映画館帰りの道で自転車に乗った若い男女が覆面を被った何者かに襲われた。
被害者の少年(14)は殴られて気絶していたと同日夜12時過ぎに傷だらけで帰宅し、姿が見えなくなった一緒にいた少女(16)は家に帰っておらずに捜索願いが出されていた。
この少年(14)が映画館で若い男が隣にきて少女(16)と言い争いになっていたと証言したことが手がかりになり、少女の家族などの話から同じ身延町に住む自動車運転助手の河西清高(18)が逮捕された。
河西はこの少女と顔見知りで少年(14)が一緒にいたことに嫉妬して後をつけて犯行に及んだという。
同月17日に河西の証言から乱暴された少女(16)の死体が発見された。
更には、実は死んだふりをしていた少年(14)に砂をかけた所で生きている事がわかり、この少年(14)に少女(16)の死体に砂をかけるのを手伝わせて「しゃべったらお前も殺すぞ」と脅していたのだった。
河西の実家は運送業でその手伝いをしていて事件現場も砂利の採取などで何度か通った道だった。日頃からの手のつけられない粗暴者で近所の評判は悪かった。
裁判では悪質な犯行と死刑が求刑されたが、河西の親が慰謝料を支払ったこと、前科がないこと、家庭環境に問題があったことなどから昭和33年1月24日に無期懲役の判決。その後の検察の控訴も翌年3月16日に東京高裁で棄却され確定した。

更正は出来なかった。再び殺人事件を起こす


通常はカップルを襲撃するには加害者側も複数人のケースが多いが河西は単独でカップルを襲撃していてこれだけでも狂暴性がわかるが、仮釈放後もやはり更正は出来なかったようだ。
平成2年2月12日に足立区の公園内の土中から人の手のようなものが出ているのを遊んでいた中学生が発見しパトロール中の警官に届け出た。
調べた所、頭部と両足がない遺体が掘り起こされ、そこから3メートルの場所には頭部と両足が埋まっていた。
歯形から行方不明中の主婦(38)と判明し死後2~4週間が経過していて殺害後にすぐにバラバラにしたものとわかった。前日に降った雨で土が流された事で手が露出したために発見されたものだった。
捜査を進める中で被害者の主婦が勤め先の縫製会社社長にしつこく交際を迫られていたためにトラブルから同僚と共にパートを辞め、未払い分の給料を受け取りに事務所にいった際に社長と口論となり社長が殺害しバラバラにし遺棄。
この社長こそが約30年前にカップルを襲撃して無期懲役で服役していた少年の河西清高だったのだ。
はじめから犯人として有力人物と捜査が進められたが、「その日は給料を渡して帰った。知らない」と否認していたが、当日にカーペットを変えていたこと、事務所から検出された血痕が被害者のものとDNAで一致したことが決め手になり河西は同年11月24日に逮捕された。
平成3年11月20日東京地裁にて殺意を否認していたが「動機が身勝手で悪質、反省の情もうかがえない」として再び無期懲役を宣告されてその後に確定している。

両事件ともに意中の女性にしつこくし、交際が叶わないと殺害するという自己中心的で狂暴な人格は矯正されなかったという少年法を考えさせられる事件と思う。
なお基本、当ブログ記事は無期懲役囚はイニシャル表記にしているが二度も無期懲役を宣告される悪質性から実名を記した。

参考元、引用元
【読売新聞山梨版、読売新聞東京本社版】

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