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元父のこと②

暗くて怖くて臭い、外にある汲み取り式トイレから

明るくてきれいで水洗の洋式トイレの家で暮らすようになって暫くすると

元父は仕事を替えて週に一度しか帰ってこなくなった


社会は好景気に浮かれ

週休二日なんて企業はまだまだ少なく

24時間働くのが当たり前


給与振り込みなんてのも少なくて

現金支給されていた時代


日曜の夕飯の頃に帰ってきて

月曜の朝早く家を出る元父


家族だんらんが大切な時期に

親子の触れ合いができなかった私は

元父が帰ってきても

恥ずかしくてちゃんと話すことも甘えることもできなかった


月に一度大量の現金と帰ってくるはずの元父は

なんだかんだ理由をつけて

その現金を持って帰ってこないことがあった


その代わり新しい車と共に帰ってきた


その頻度は2、3年に一度

酷い時は1年も経っていないのに変わっていた


詳しい車種は覚えていないけど

ドデカいキャンピングカーで帰ってきた時は驚いた


因みにそのキャンピングカーで

キャンプに出掛けた記憶はない


小学校も高学年になるころ

母親からちょくちょく電話対応を任されることになる


指示はこうだ


お父さんかお母さん、いますか?

と聞かれたら「いません」と言いなさい


勘のいい人ならもうおわかりかもしれないが

これは借金取りから電話がかかってきた時の対応だ


今では信じられないことだが

このころは認印さえあれば

配偶者を勝手に保証人にして

お金を借りることができたのだ


取り立て方法も今の比ではない


のちにこのことを母に話すと

まだあの頃(の取り立て方法)はおとなしかったからよかった

もっと前は仁侠映画張りに酷くて

兄の方が苦労したのだ。とのたまった



結局、母が尻拭いし

暫くは収まるのだけど

前出の母の話からもわかるように

元父の借金癖はこれ一度きりではない


過去に何度も繰り返し

この後にも繰り返された


それが何故か3年おきで

高校受験の年

高校卒業の年

私の大事な節目で電話対応を任されるので

たまったものではなかった


そしてある日の電話はいつもと違った

相手は女性だった

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