どうせ上手くは言えていない

この最初の書き出しがとにかく難しいうえに、これで文のセンスが問われる恐怖が嫌すぎて気づいたら半年以上更新もしてなかった。たまに通知が来るたびに何か書こうかなと思うものの、いつもここで気が引けてアプリをスッと閉じる。今もここが難しい。

ただ通知のおかげでアプリを開くたびに、最新の記事にある年始の自分の状況を確認する。記事の中で『これからは「色んな人と漫才をしよう」のコマンドに設定して〜』なんて書いていたあの自分と少し距離が出来てきたので、その距離の内訳でも書き出しておこうかなと思う。

まず1月〜3月
ここはとにかく慌てて腐れてた。よく考えたらR-1の1回戦落ちから今年は始まっていた。最新の記事が2月だったので、この1回戦落ちも影響はあったと思うくらいピンから離れたかったんだろう。

1月に関しては計4本しかライブ出ていなかった。そのうちの1本がこの後よく出てくる「巻物ズ」という月に1.2回ペースで活動していたユニット。1月最初のライブは「楽屋A劇場メンバー行き争奪バトル"口火"」だ。結果は2位。ここまで毎月口火に1回出ては2位か3位だけ取って「ひぇ〜また来月ですねぇ〜」なんて言いながら、ニヤッと微笑んで帰路に立っていたユニット相手の"ロックオン高崎"さん。

2月は「色んな人と漫才〜」でSNSで募集をして声をかけてくれた方々とライブを出る日々。このタイミングで4月に初めて主催を打つことにも動いた。主催ライブで声を掛けてもらった人全員とネタしようと、当面の目標を設定した。それまでに試せるユニットはライブに出てみようとそんな活動。

そのうちのひとりだった"田中文学部"くんというアマチュアの子とのユニットでは、勝ち上がりライブで1位を取れた。もちろん僕自身嬉しかったが、それ以上に田中君が喜んでたのが微笑ましかった。ライブで初めて1位を取ったそうで、めちゃくちゃ感謝されたがこれに関しては田中君が凄いってことでもあるから胸張っていきなよ!って言った数ヶ月後に彼は芸人を廃業した。僕がもったいないオバケなら今でも彼に取り憑いているだろう。

3月になってまず「営業」のお仕事を頂いた。この流れで?と自分でも思うが、とある先輩芸人の方からから誘われた「色んな学校へ行き団体コントをする」という営業。このとある先輩芸人の方というのは、出身校が一緒だったなどの繋がりもありお声をかけて頂いた。そして今も定期的に行かせて頂いている。

そして、ここから先ほど出た「巻物ズ」の活動が活発化していく。3月末に出た口火でついに1位になることができた。もうほぼ老害に近い位置にいた口火をようやく卒業できるチャンスだ。ただ末に勝ち上がったため、劇場メンバーとの入れ替えバトルが2〜3日後。負けたらまたこの半年くらいかかった1位をとりに行かないといけないのかと。

ここから4月〜6月
4月の1発目はもちろん「楽屋A劇場メンバー入れ替え戦」だ。ここに勝てば楽屋Aという劇場の劇場メンバー2軍である「Gakuya Bメンバー」になれる。これになりたくてみんなは口火というものをエントリーし1位を狙う。2位ではダメ、口火1位のみがこの戦いに挑める。つまり相手は1位獲得メンバー+既に2軍メンバーの面々。

ここを1発で仕留めるしか先がないと思いすぎて、この日は始まる前から色々と調子が悪かった。ただ本当に負けてられなさすぎた気合いで乗り込んだ。結果1発で仕留めることができ2位で劇場メンバー入りを果たした。しかし、ルールとして劇場メンバーとして居れる猶与は原則2〜3ヶ月。この間に劇場メンバーだけで戦い、上位なら1軍であるAメンバーとの入れ替え戦、下位なら今回と同じ戦いをしそれも負けたらまた口火。なので、もう若くもない僕も高崎さんもこのBメンバーに必死でしがみつくことしか考えてなかった。

そして先ほど書いた初めての主催に関しては、1ライブで6ユニットすることを伏せてネタをしてしまったので3ユニット目以降はネタよりもただ出過ぎという部分だけ目立ちすぎたので、これを読んだ方で以後複数ユニットで同じライブに出ようとする人は、1ライブMAX2ユニットが限界ということだけ伝えたい。

5月に入ると楽屋Aが1周年を迎えるということで周年イベントが5月1日〜6日まで行われた。特に1日は24時間ぶっ通しでライブイベントを行うというもの。僕は系列の"BAR舞台袖"で24時間チャレンジ企画をするというものに参加。ボニーボニーさん、アオイサカナの正光さん、僕。この1年劇場の看板であったお三方の中に、明らかに新参すぎて浮いている僕。とにかくここで少しでも上手く溶け込まないとという葛藤で前日も上手く寝れずに終わっていたのを覚えている。

結果、この日があったことがとにかく今でも大きかったそんな1日だった。溶け込まないととバキバキだった身体をほぐしてくれるかのように、ボニーボニーさん、アオイサカナさん、24時間企画のスタッフの皆さんを始め沢山の方が優しかった。優しすぎて24時間全く眠たくないというゾーンにまで入っていた。僕は"24時間木を原木から掘って誰かの顔の形を掘る"という無謀なチャレンジだったが、この木彫りがなければと思うくらいのターニングポイントになっている。

ちなみにその模様がこちら↓

とにかくここから「巻物ズ」のユニット活動のみがメインになっていく。ライブに呼ばれることもありがたいことに増えていった。

6月に入り例の劇場バトルが始まる。先ほどの通りとにかくBメンバーにしがみつくこと。Aメンバーに行くぞ!というよりは、口火に落ちたくないが勝っていた。それと同時にバトルがない楽しい寄席ライブが増えていく中で、そもそもネタ数がユニットなので少ない問題に直面していた。バトルよりもそっちを対策するように動いたのが上手くいったのか、劇場バトルではBメンバー内で1位をとった。つまりAメンバーとの入れ替えバトル行きだ。さらには、あらゆるライブで1位を獲る機会が増えた。

7月に入り1発目がAメンバーとの入れ替えバトル。上位に入ればAメンバー入りの戦い。そもそもBメンバーにしがみつこうという考えだから、ここまで来れたのはラッキーだからとりあえずがんばろう!なんて考えができた方が気持ちは楽だが、ここまで来たならやはり1軍であるAメンバーになりたい。というバキバキな気持ちになってしまっていた。今出せるものを全て出すだけと当たった結果Aメンバーになることが出来た。また歴代数少ない1撃昇格だったらしい。

ここからさらに「巻物ズ」としてライブや寄席に呼ばれる機会、営業に呼ばれる機会が増えた。それと同じくらい「まだユニットなんですか?」とか「もうロックオンしてくださいよ」なんてことを言われる声も増えた。そもそも4月以降からは巻物ズ以外でピンですらもあまり動いてなかったから、それ以降に知った人からしたら疑問しかなかったみたい。とはいえ我々も「そろそろユニットからコンビにしたほうがええですかね?」「まあええやろ!」「そうっすねぇ〜!」の5秒会話が数回あっただけだった。

そんな中で7月に大きな出来事がやってきた。それが「今宮戎マンザイ新人コンクール」だった。エントリーしたのは学生時代だった8年前以来で、久々にエントリーしたとは言え1次予選で激敗した苦い大会のイメージしかなかった。そんな大会で1次予選でウソみたいに手応えを感じ通過し、2次予選の境内ステージに初めて行けた。それどころか2次予選も通過し、決勝に進むことが出来た。唯一の無所属フリー勢の決勝進出だった。横の高崎さんを見たら良い意味でなんとも言えない顔をしていた。

連日で行う大会でもあるため、この勝ち進んでる間は次!次!の精神だったので、決勝で負けた瞬間に色んなことを感じてしまった。1番大きく出てきたのは賞を取り損ねたという悲しさだった。自分の性格的にここまで来た嬉しさが勝って次頑張ろう!になりそうだったのに。その次に、取り損ねたということは、今後なにかの賞を取ってもいいタイプの人間にはなれたのかな?というちょっとした自信だった。全く自信が持てない人間から少しは自信が持てる人間になれた気がした。そしてなんか帰り道めっちゃ泣いた記憶だけある。あとこの日をきっかけにユニットだった「巻物ズ」はコンビにロックオンした。

8月は振り返るまでもなく先月の話。高崎さんの就活問題(妻がいる高崎さんは元々社会人でやっていたが、転職をするために仕事を辞めていた為活動も活発化できたのもあるが、その影響で今も就活をクリアしていない※2023年9月時点)もあり、少しライブはセーブしたものの、Aメンバーバトルではまさかの1発残留でき、初めて先輩の単独ライブのゲストとして出演させて頂いたり、M-1も無事初戦通過できたりとこの調子を落とさないようにと必死になっている。

そして9月入った今、なんか直近のエントリー大会系全部漏れてるし、1年以上働いてたバイト先から融通はこれ以上効かない宣告されたし、胃腸が爆発寸前くらい腫れてぶっ倒れたしなんでやねん!!!!!!!!!!!!9月入って急に調子どないなってるねん!!!!!!このまま悪くなるなんてなんて思いたくねえよ!!!!!!!!!!!!!

という邪念だらけの状況です。とりあえず小分けにしなかったのは、した時に絶対に続きを書くことなんてないのを見越してと、また通知が来たときに距離を空けても良いように見えそうだから。

ここからは「邪念なしで活動をしよう」のコマンドで行くとしよう。

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