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2年目の今宮戎

大手の事務所にも入らず、フリーで活動しているイチちっぽけな人間目線で見てもらえればと思います。そんな大きなことでもないでしょうし、果てしなく大きいこととも見える。でっかいこの地球の中での微々たる何かのお話。

今年も今宮戎マンザイ新人コンクールにチャレンジした。今年で42回目となる伝統ある賞レース。過去にはダウンタウンさん、ナインティナインさんなど大スターの方々が取っている賞。

まずこの大会の流れとしては、4日間連続で途切れることなく行われる。1.2日目は「アラ予選」と呼ばれる事務局内での手見せ審査になる。2日間で合計200組近くが参加している。ここで終わると、境内の特設ステージでネタを披露することはできない。

アラ予選からは毎年30組前後通過するとのこと。3日目は「2次予選」と呼ばれ、30組前後が半分の15組前後に絞られる。3日目からは境内での特設ステージで、稲荷社を目の前にネタをする。

そして最終日は「最終選考」と呼ばれる、いわゆる決勝戦。ここで上位に入ると、伝統ある賞を受賞することができる。枠は4枠。どの賞レースよりもハイテンポで戦いが進む。

我々はありがたいことに、昨年はこの最終選考の16組にまで残ることができた。しかし賞には全くひっかかることない順位で、儚く終わってしまった。残れた嬉しさがあんなあったのに、取れずに終わった帰り道は虚しかった。終わった瞬間に初めて最後まで残った賞レースだったので、来年あるなら絶対にこの場に残って賞を取りたいと思った。それ以外なく。

そんなこんなで今年がやってきた。ちょうどこの1年の間が我々にとっては目まぐるしく、なんもなくのろのろと過ごしたりごく普通の社会人生活を送っていたところ、昨年はしゃべくり話芸大賞も残ったり、そもそも僕自身仲良しの芸人が少なかった端くれボーイだった状況が1年前の今宮戎のおかげで昨年よりも輪が広がった。環境も多分良くなったと言える。本当にありがたい。

こんな環境にうっすらと1年間甘えすぎたツケがこのタイミングで回ってきたのかという状況で、明らかにここ数ヶ月僕自身の調子を落としていた。これは完全なる自分の怠惰。どう映ってるのかはわからないが、自分自身ではそれにとにかく焦る日々。心の中でこの焦りが止まっていればいいが、いよいよ劇場やライブで自分のランクは下がったりと、目に見えるところにまで表れだす。

ちょうど1ヶ月ほど前に、自分の都合で実家住みになった。それと今年に入って営業も増えたのもありこの環境と過ごし方次第ではまさかのバイトしなくてもいいくらいの収入になった。しかし確実に1人になる時間は無くなった。確実に篭れる部屋も場所もない。いつか誰かが同じ場所に帰ってくることに無駄なストレスを感じてしまい、家にも帰らなくなる。無駄に遠くにいく。時間をかけて帰る。とにかく今は1人になりたくて。

結果一人暮らしよりも大出費。生きていくのもやっと。前々日には果てしなく乗り過ごし見知らぬ駅に辿り着き、歩いて帰ることになり2時間半あるくも大雨に見舞われタクシーを使う羽目になる。多分ニンゲンであることを捨てようという行為なのかもしれない。でも時間は進んでいくし、心配性な僕は作り終えていない請求書やアンケートの提出、予定の入っている病院の日程などカレンダーを見てソワソワする。

つまり、自業自得なとっても落ち着いてない状態で今年望むことになった。そんなアラ予選。昨年よりも組数は多くレベルも高そう。猛者たちが次々と楽屋入り。みんなが着替えてるところで手見せが始まる。暑さにやられ体調も思ってるより良くはない。流石にここでは終われない。持っていくはずのネタも急に変えたり初めて試すようなことまで仕掛けて、なんてしてるうちに出番は来て、2分という時間を駆け抜けた。

ゆっくり着替えて、ゆっくり帰る。とにかく暑さにやられまくっていた。簡単に予測できる海に行ったあと熱帯夜の中歩いて帰ったツケだ。筋肉痛も酷かった。炎天下の中帰り、家に着いて全身に湿布を貼りキンキンに冷やしたペットボトルを抱きながら薬を飲んで寝た。

気づいたら次の日になっていた。無事体調は回復し、この日の夕方に結果が来る。お昼からとある会の中で漫才をするお仕事を頂いてたので、気持ち穏やかに向かった。美味しいカレーを頂いて漫才。最高の休日だった。その帰りに結果発表だ。

結果発表が、とある1時間内に「電話が来ないと落選」という通達。電話が来ないと始まらない。その時間帯、家にはもちろん帰れず地元をとにかく宛先なく練り歩いた。出したエントリー用紙の電話番号間違えてなかったかな?なんてとにかくモヤモヤを探してモヤモヤする。予定の時間から2〜30分後だった。

1通の電話が来る。事務局から無事通過の通達。小さな路地に入ってホッと一息。高崎さんに連絡するとボイスメッセージで喜んだガサガサの声を送ってきた。意外とそういう人なんだと。

去年はここで舞い上がっていたが、今年はそうではない。賞を取れなかった1年前がすぐよぎり、あまりなったことない感情になる。喜びたいけど喜べないみたいな。明日は何しようかなーなんて考えて不眠症に拍車がかかる。ピンチ。

2次予選の日、家の中でヒゲソリをなくす。元々住んでた家よりも駅まで遠くなり、部屋がなくなったので置いたものがすぐ移動してしまう事態が多々ある。これは僕のニンゲン力のなさで物を散らかす習性が150悪なのだが、ピリリとしてしまい気持ち最悪に家を出てしまう。そんなピリリを知らずに母から「今日頑張って〜」との連絡が入り、自分が嫌になる。そんな3日目幕開け。

会場入り。くじを引き注意説明を受け長い空き時間に入る。これがあまりにも長くて過ごし方に困っていた去年を覚えているので、今年はここに関して気持ち穏やかだった。お参りに行き、コンビニでおにぎりを買い、ヒゲも丁寧に剃り、楽屋でゴロゴロしては連絡を返したりと。

2次予選が始まりだし、後半に控えた出番が来る。昨年から1年か〜なんて思いと、明日行かないと話にならないが交錯しネタへ。お客さんみんな祭り楽しそうだな〜なんて思いながらあっという間に2分。手応えとか緊張よりも、とにかく暑さにやられそうだった。これ明日もっと水いるなとか。

結果発表。最終選考の決勝に行く人が最後出順で舞台上に呼ばれる。つまり後の組が呼ばれると落ちたことになる。僕らは呼ばれなかった。仕方ないという言葉で片付ける以外なかったが、あまりにも一瞬視界が歪んだ。暑さのせいにして倒れようかなとか思ったりした。とりあえずヘラヘラして決勝の人たちを讃えて楽屋に戻った。

楽屋には全組の点数が張り出される。昨年よりも審査員が1人減っていたのだが、その時は気にならず昨年くらいの点数かと自分たちの名前のみ見ていたら先輩達が「あれ?ジェームズ点数高くない?」と声をかける。1位の組の点数をみて気づく。次くらいに高いなと。

事務局の人にすぐ確認を取った。「あの、点数が良さそうなんですが名前呼ばれなかったんですけど……」と。ちゃんと何この若手は言うてんねんの顔をされて確認が始まる。そして事務局の方から謝られると共に明日来てくださいと通過の通達を受ける。多分こんな通過の仕方をした組は居ないと思う。

本当に一安心した。ようやく今年のチャレンジができる。作戦を練り、明日するものも決めている。2回目の挑戦ってこんな気持ちなんだなと思いながら、おめでとう連絡を返す。片っ端から「取る!」とだけ返して。

最終選考の日。入り時間からクジ、待ち時間までの流れは昨日と同じ。同じようにコンビニに行き、暑さにやられたので必要以上に水とポカリを買い、ベストなタイミングでカフェオレとおにぎりを飲食する。楽屋でも軽く寝て。

本番が始まり、自分たちの出番になる。去年よりも格段に楽しかった。ネタ終わりのトークも気持ち僕ら長かったようにも思えたが、昨年でこのMC絡みの大変さを知っているのでそれもまた楽しかった。あー今年ももうこんな時期なんだななんて思いながら。出番が前半だったので、楽屋で涼んで待っていた。

結果発表。昨年と同じクラッカーを手渡され大賞の時に鳴らす仕組み。結果4枠ある賞に今年もかかることはなかった。また取れなかった。目の前まで来たのに。昨年も思ったがこのタイミングの照明は気持ちさらに目の前が眩しく見えてしまう。終わってしまった。

楽屋に戻ると点数が張り出される。そこで我々が賞へ手にかかりかけてた位置にいたことを知る。前日の点数とかも考えたら尚更。でも負けは負け。結果が全ての社会では何もいえない。なんて考えてたが、心は思ってるより落ち着いていた。高崎さんの顔も清々しかった。なんかよかった。

戦い前の荒ぶった感情も、この戦いの終わりと共にどこか落ち着いた。取れなかったことを報告すると、僕よりも悔しがってくれる優しい後輩もいた。事実を讃えてくれる後輩も。来年に向けてすぐケツ叩いてくれる同級生も。なにかと優しさに包まれていたことに救われた。

こうして僕たちのしっかりとした2年目の決勝の挑戦は終わった。正直この今宮戎に関しては、他の歴史あるお笑いコンクールで賞金を貰わない限りは出れるのだが、一旦我々は今年がラストイヤーの方向でまとまっている。勿論1年経って何を思うかわからないので、すぐ撤回する可能性もある。そう決めたのもこの大会があったおかげで確実に1年で大きくなれた。お世話になりまくった。なのでそれに恥じぬようにこれからもっと大きくなれたらなと。いや、撤回の可能性あるか?まだわからないが、今のところはラストということで。

ということで、そんな今年の我々をありがとうございました。勿論この大会終わりも、家に帰りたくない病が発生していたので友達と朝まで喋ってもらってました。そして翌日もお仕事こなさせてもらいました。もっと稼げるようになりましょう自分。

2023年の時
今年の姿

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