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4割の男達&4割に迫った男達

    頑張って更新していきます。筆者のうな重です。



    4割打者。それは究極のロマン。NPBでは過去に達成者がおらず、MLBでは過去20名にしかいない大記録である。


    今回は1900年以降に4割を達成した8名を達成された年順に紹介しよう。


①Nap Lajoie 1901年


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    MLB史を代表するセカンドで近代野球(1901年以降)最初の三冠王である。後述するCobbとは同じアメリカンリーグでしのぎを削った。

    特に1910年の首位打者争いは有名であり、シーズン最終日時点でCobbが509打数196安打で打率.385に対し、Lajoieは打率.376と9厘差。首位打者を確信したCobbは試合を欠場。しかし、Lajoieはセントルイス・ブラウンズ(現:ボルチモア・オリオールズ)戦のダブルヘッダーで9打数8安打(最終591打数227安打で打率.384)、遊撃手の失策とされた1打が安打になっていれば逆転で首位打者というところまで迫った。ところがそのうちの7本は三塁へのバント安打で、これは相手チームのセントルイス・ブラウンズの監督ジャック・オコナーが当時人気の高かったLajoieにタイトルを勝ち取らせるために、三塁手に「後ろに下がってプレーしろ」と命じた結果のものだった。しかし、露骨なシフトだったためこの八百長が発覚し、結局、公式な首位打者はCobbとなったものの、首位打者に贈られる賞品のマックスウェル・チャルマーズ社の車は両者に与えられることになった(そのシーズン後にオコナーは監督を解雇され、コーチと共に永久追放されている)。

成績

1901年     131試合 544打数 145得点 229安打 48二塁打 14三塁打 14本塁打 350塁打 125打点 24四球 27盗塁 打率.421 出塁率.458 長打率.643 OPS1.101 三冠王


②Ty Cobb 1911年,1912年,1922年


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    1920年以前のデッドボール時代の象徴的な存在である。通算安打4191はPete Rose(1963-1986)に破られるまでMLB記録であり、通算打率.367は今でもMLB記録で二度と破られないだろう。1909年にはMLB史上唯一の打撃全タイトル制覇を達成するといったLegendである。

    しかし、「最高の技術と最低の人格」「MLB史上、最も偉大かつ最も嫌われた選手」とも評されている。

    人種差別主義者として知られているが黒人を付人として雇ったり、Willie MaysやRoy Campanellaを評価したりするなど、黒人選手を評価するコメントを多く残している。また、「KANO 1931海の向こうの甲子園」で有名になった嘉義農林の捕手に刺された時に、笑顔で頭を撫で「やるな坊主」と発言している。後にCobbの人種差別的発言は捏造であったとされている。

成績

1911年     146試合 591打数 147得点 248安打 47二塁打 24三塁打 8本塁打 367塁打 127打点 44四球 83盗塁 打率.420 出塁率.467 長打率.621 OPS1.088 首位打者、打点王、盗塁王、MVP

1912年     140試合 553打数 119得点 227安打 30二塁打 23三塁打 7本塁打 324塁打 83打点 43四球 61盗塁 打率.410 出塁率.458 長打率.586 OPS1.043 首位打者

1922年     137試合 526打数 99得点 211安打 42二塁打 16三塁打 4本塁打 297塁打 99打点 55四球 9盗塁 打率.401 出塁率.462 長打率.565 OPS1.026


③Joe Jackson 1911年


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    MLB史最悪の事件、ブラックソックス事件がなければ間違いなくアメリカ野球殿堂入りをしていたであろう選手である。

    イチローが1年目に放った242安打が塗り替えるまでルーキー最多安打(233安打)を持っていたTy CobbやBabe Ruthが認めたスターである。

    このJacksonが4割を達成したシーズンで彼は最高出塁率のタイトルしか取っていない。同じシーズンでCobbが4割を達成し、打率、安打でJacksonを上回っている(Jacksonは2位)。

成績

1911年     147試合 571打数 126得点 233安打 45二塁打 19三塁打 7本塁打 337塁打 83打点 56四球 41盗塁 打率.408 出塁率.468 長打率.590 OPS1.058 最高出塁率


④George Sisler 1920年,1922年


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    日本で知られている過去のMLB選手の中ではかなり有名な選手ではないだろうか。イチローに抜かれるまでシーズン最多安打(257安打)を84年間も保持していた選手である。

    2度目の4割を達成したシーズンまではあのTy Cobbをして「最も完璧に近い野球選手」と評された。

    しかし、1923年に目の病気で1年間を欠場。その後は成績を落として(それでも1926年を除く年では3割を達成している)1930年に37歳で引退した。

    引退後はブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼルス・ドジャース)のスカウトとなり、黒人MLB選手の大スターであるJackie Robinsonをスカウトした。

成績

1920年     154試合 631打数 137得点 257安打 49二塁打 18三塁打 19本塁打 399塁打 122打点 46四球 42盗塁 打率.407 出塁率.449 長打率.632 OPS1.082 首位打者

1922年     142試合 586打数 134得点 246安打 42二塁打 18三塁打 8本塁打 348塁打 105打点 49四球 51盗塁 打率.420 出塁率.467 長打率.594 OPS1.061 首位打者、盗塁王、MVP


⑤Rogers Hornsby 1922年,1924年,1925年


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    間違いなくMLB史No.1のセカンドだろう。3度の4割を達成、三冠王2回、MVP2回の実績はセカンドでは二度と現れない。

    ストイックな選手で野球をするのに目が疲れる事はしないと映画を見ない、本は読まず新聞しか読まない。酒やタバコもしないと言った具合である。

    しかし、厳格すぎる性格が記者との関係を悪くし、殿堂入りも遅れ得票率も伸びなかったと言われている。

    1937年に後にHornsbyと同じく2度の三冠  王、4割を達成するTedd Williamsと出会い2人で練習をしたというエピソードも残っている。

成績

1922年     154試合 623打数 141得点 250安打 46二塁打 14三塁打 42本塁打 450塁打 152打点 65四球 17盗塁 打率.401 出塁率.459 長打率.722 OPS1.181 三冠王

1924年     143試合 536打数 121得点 227安打 41二塁打 14三塁打 25本塁打 373塁打 94打点 89四球 5盗塁 打率.424 出塁率.507 長打率.696 OPS1.203 首位打者

1925年     138試合 504打数 133得点 203安打 41二塁打 10三塁打 39本塁打 381塁打 143打点 83四球 5盗塁 打率.403 出塁率.489 長打率.756 OPS1.245 三冠王、MVP


⑥Harry Heilmann 1923年


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    Ty Cobbのチームメートとしてデトロイト・タイガースの攻撃陣を引っ張った強打者である。

    1914年にMLBデビューを果たし、現役生活も残り少なくなったSam Crawford(通算三塁打MLB記録保持者)の後釜として期待され、出場機会を得るようになった。

    1919年に初めて3割を超え、1930年まで11年連続3割を達成した安定感のある打者である。

    引退後はタイガースの実況放送を務め、第二次世界大戦は軍隊慰問のための野球団に加わって、海外へも行っていた。

成績

1923年     144試合 524打数 121得点 211安打 44二塁打 11三塁打 18本塁打 331塁打 115打点 74四球 9盗塁 打率.403 出塁率.481 長打率.632 OPS1.113 首位打者


⑦Bill Terry 1930年


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    ナショナルリーグ最後の4割打者である。Sislerが持っていたシーズン最多安打(257安打)にあと3本まで迫りその年に4割を達成している。

    1932年からニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)の選手兼任監督を務め3度のリーグ優勝、ワールドシリーズも1回制覇している。

    監督退任後は自動車販売業を営むほか、ミルウォーキー・ブレーブス(現在のアトランタ・ブレーブス)のマイナーチームを買収し、オーナーを務めた。

成績

1930年     154試合 633打数 139得点 254安打 39二塁打 15三塁打 23本塁打 392塁打 129打点 57四球 8盗塁 打率.401 出塁率.452 長打率.619 OPS1.071 首位打者、MVP


⑧Tedd Williams 1941年


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    MLB最後の4割打者である。MLB史No.1レフト、MLB最高の打者とも評される。2度の三冠王に輝き、通算出塁率1位、通算長打率2位、通算OPS2位と完成された打者である。

    並外れた動体視力を持ち、78回転のレコードのラベルを読むことができた。さらに空軍時代は、その目を生かして敵機を多数撃墜していたという。

    夜10時に就寝、タバコは吸わないと自己管理を徹底していた。

    プルヒッターであり、後に王シフトの原型となるブードロシフトの元となった打者である。

    第二次世界大戦と朝鮮戦争の兵役約5年と俊足に恵まれていれば4割を複数回達成、打撃成績の通算記録は殆どがWilliamsだったと思う。それほどの天才である。

成績

1941年     143試合 456打数 135得点 185安打 33二塁打 3三塁打 37本塁打 335塁打 120打点 145四球 3盗塁 打率.406 出塁率.551 長打率.735 OPS1.286 首位打者、本塁打王


⑨4割に迫った男達

    最後に軽くではあるがWilliamsの達成以降で4割に迫った男達を紹介していこう。


Rod Carew 1977年

    イチローに抜かれるまで米国出身者以外の最多安打記録保持者である。

155試合 616打数 128得点 239安打 38二塁打 16三塁打 14本塁打 351塁打 100打点 69四球 23盗塁 打率.388 出塁率.449 長打率.570 OPS1.019 首位打者、MVP


George Brett 1980年

    異なる3つの年代(1976年,1980年,1990年)で首位打者を獲得した唯一の選手で、カンザスシティ・ロイヤルズのフランチャイズプレーヤーである。

117試合 449打数 87得点 175安打 33二塁打 9三塁打 24本塁打 298塁打 118打点 58四球 15盗塁 打率.390 出塁率.454 長打率.664 OPS1.118 首位打者、MVP


Tony Gwynn 1994年

    サンディエゴ・パドレスのフランチャイズプレーヤー。2年目から引退するまで19年連続3割を達成した打者である。

110試合 419打数 79得点 165安打 35二塁打 1三塁打 12本塁打 238塁打 64打点 48四球 5盗塁 打率.394 出塁率.454 長打率.568 OPS1.022 首位打者


Todd Helton 2000年

    このnoteのサムネ選手である。成績だけみれば全く惜しくないと思われる方もいるが、実は最も惜しい選手である。

    8月18日のマーリンズ戦の6回裏、この日の3本目の安打となる2塁打を放ったHeltonの打率は、4割を超えた。規定打席にも到達したのである。しかし、規定打席を満たして4割に到達したことに誰も気がつかず、3点ビハインドを追いかける次の打席にも登場したHeltonは1塁ゴロに倒れ、結局、この試合の.399を最後に二度と4割に近づくことは無く.372でシーズンを終えた。もし6回裏の打席が終了した時点でベンチに下がりその後の試合に出場しなければ4割達成だったのである。

160試合 580打数 138得点 216安打 59二塁打 2三塁打 42本塁打 405塁打 147打点 103四球 5盗塁 打率.372 出塁率.463 長打率.698 OPS1.162 首位打者、打点王


⑩まとめ

    ここまで読んでくださった方には感謝しかない。今回このnoteを書いたのは4割がどれだけ難しいのかという目的もあったが過去のMLB選手を皆さんに知っていただきたいという目的もあって書いたものである。

    これを機に過去のMLBに興味を持っていただけたら筆者としては嬉しい限りである。

    それではまた次のnoteでお会いしよう。


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